坂東三十三観音巡礼第8回
今日は月1の坂東三十三観音巡礼のバスツアーの日。いつものように横浜駅西口近くを午前7時30分に出発し、埼玉県下の四ヶ寺を巡ることになります。
第10番 巌殿山 正法寺(東松山市) → 第9番 都幾山 慈光寺(比企郡)→ 第11番 岩殿山 安楽寺(比企郡)→ 第12番 華林山 慈恩寺(さいたま市)です。
埼玉県下で巡りやすいのかと思っていましたが、最初の正法寺は関越道東松山ICから6kmながら、残るお寺は地道を走り、それぞれ40分から1時間以上離れていて、かなりの走行距離になります。バスツアーでなく、自家用車で参拝するとなると相当難儀でしょう。
第10番 巌殿山 正法寺(埼玉県東松山市) 真言宗智山派 創建 (伝)8世紀 開基 逸海上人
標高135メートルの物見山(つつじ、もみじで有名)のすぐ傍にあり山寺を思わせる観音堂に本尊千手観音が安置されています。千手観音は室町期といわれますが、秘仏でその姿をみることはできません。建物や、銅鐘なども文化財としては然程のものはないようですが、観音堂の容姿は鄙びているが、堂々としていて厳粛な雰囲気があります。その傍らの樹齢300年といわれる高さ20メートルの大銀杏の黄葉が目を引きます。このお寺の最隆盛期は徳川家康の頃(25石朱印地を与えられた)といいますが、真言密教の修道場らしい境内の張り詰めた雰囲気が印象的でした。
本尊千手観音は別名を岩殿観音といいます。
第9番 都幾山 慈光寺 (埼玉県比企郡ときがわ町) 天台宗 創建 8世紀 開基 道忠
このお寺の最盛期は12世紀、源頼朝が帰依し広大な寺領を寄進した頃で、99の坊が存在したといいます。現在は慈光山のそこここに本堂である阿弥陀堂や観音堂、開山道、霊山院などのこじんまりした諸堂が残るばかりですが、この一帯の寺院で需要のおかげで麓の埼玉県小川町の和紙産業が隆盛を極めたとのことです。十一面千手観音は秘仏で、モノクロの本堂内の写真でしか見ることができませんでしたが、身の丈265cmの寄木造りでずいぶん立派なお姿であるようです。若いご住職から、800年前の由緒正しき、このお寺の最盛期の解説を聞かせて頂きましたが、あながち昔日だけの話ばかりでなく、法華経の経典33巻が残されていて、国宝に指定されています。境内の般若心経堂にレプリカが展示されていますが、埼玉県下での最初の国宝指定文化財だったそうです(現在は、埼玉稲荷山古墳出土品など県下に4件あるうちの一)。
ご本尊のスチール写真はありますか? と伺ったら、加工されてネット上で広がることがあり頒布することはお断り、と素っ気なく言われました。お寺の中には、信仰の対象である仏さまを美術鑑賞の的にするのはけしからん、とする寺院関係者も一部におられるのですが、どうやらこのお寺も若い住職ですが、そのお考えのようで残念でした。
第11番 岩殿山 安楽寺(埼玉県比企郡吉見町) 真言宗智山派 創建 不詳 開基 (伝)坂上田村麻呂
山号は正法寺と同じく、「いわどのさん」と読みます。本尊聖観音菩薩、別名 吉見観音。寺縁起では行基がその聖観音像を安置したとか、東北遠征から帰った坂上田村麻呂が勝利祈願の御礼に堂宇を創建したのが開基であると伝えられますが、いずれも東国の寺院によく語り継がれているお話というべきで、本当の謂われは分かりません。東国花の寺としてもあげられているお寺です。
本堂、その脇の三重の塔は17世紀頃の建立で県指定文化財にとどまりますが、保存状態も不悪で荘厳です。本堂の額には観音菩薩がご本尊となる「補陀洛(浄土の意)」と書かれています。 ここもご本尊は厨子のなかに安置され、お姿を見ることはできません。
第12番 華林山 慈恩寺(埼玉県さいたま市) 天台宗 創建 (伝)9世紀 開基(伝)慈覚
ご本尊千手観世音菩薩。今回、見ることはできませんでしたが、境内の中には玄奘三蔵法師(7世紀)の遺骨の一部が、日中戦争で進軍した日本軍が持ち帰り、この寺の玄奘塔に安置されています。後に台湾玄奘寺、奈良薬師寺(玄奘と同じ法相宗)にも分骨されていると言います。寺の説明を読むと、昭和17年発見当時日中両国の専門家で調査がなされ、玄奘の遺骨と断定されて、遺骨の大部分と副葬品は南京政府に引き渡されたとしています。また、分骨されたものは、当初、東京芝増上寺に安置されましたが、米軍の空襲を避けるために疎開されたのだといいます。この慈恩寺は、玄奘ゆかりの長安大慈恩寺から名付けられたものであったため、選ばれたのだそうです。
寺院に到着したときは、日没直前の午後4時20分頃で、礼拝が終わって辞した時に、本堂の点灯も一斉に消され、周囲は漆黒の闇に包まれました。立派な本堂は江戸時代、徳川家康から寺領100石を拝領したという隆盛期の名残でしょう。
これで本日の四ヶ寺巡礼は終了し、横浜駅西口には午後7時に帰還しました。参加者41名、添乗員、女性の先達さん1名で、バスは満席です。いずれも予想していたよりも大きな寺院ばかりでしたが、いずれも観音菩薩像は拝観できず、お姿を偲ばせるものも殆どなく誠に残念でしたが、来年午年は坂東、秩父ともに観音霊場総開帳の年に当たり拝観できるようです。午年の開帳とは、馬が観音さまの眷属(けんぞく、使いの者、配下)であることに由来するもので、江戸時代は甲午年(60年に一度)、現在は12年に一度の午年に総開帳されるとのことです。
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