板東三十三観音巡礼第10回(結願)
さて今日は10ヶ月前から始めた板東三十三観音巡礼の最終回。巡礼の最後の寺院を巡礼し終えることを結願(けちがん)と言います。
横浜駅前出発 7:30 → 第32番 音羽山 清水寺(千葉県いすみ市) → 第33番 補陀洛山 那古寺(千葉県館山市)
の2ヶ寺を回ります。 横浜駅から首都高速経由、東京湾アクアラインを通って対岸の房総半島木更津市へあっという間に到着、そこから50分程度で清水寺です。
第32番 音羽山 清水寺(いすみ市) 天台宗 創建(伝)9世紀 開基(伝)円仁
京都市にある清水寺(法相宗)と山号も同じ、兵庫県 御嶽山清水寺とならぶ「日本三清水」と呼ぶそうです。寺の言い伝えは、平安期の偉人勢揃いで、伝教大師(最澄)が草庵を結んだのが始まり、後に円仁が千手観音像を安置し、坂上田村麻呂が堂宇を建立したことになっています。本尊の木造の十一面観音菩薩像は鎌倉時代とのことではあります。
本堂の回廊、東向は京都清水寺の舞台からの景色と似ていると伝えられているそうですが、杉木立に視界は遮られ、諸堂のある山自体、かなりこじんまりとした規模なので、清水舞台と比較するのは少々無理を感じます。麓からの急坂の参道を300メートルほど 上ったところが山門で、天台修行の地としてはさほどの厳しさを感じない地にありますが、杉木立が鬱蒼とし静謐な環境であることは確かです。納経所には、板東巡礼の書物がいくつか置かれていたのが意外で、他の寺院では見ることができない充実ぶりでした。 境内に百体観音堂があり、西国・板東・秩父札所 百観音を模した「うつし霊場」があり、その他赤穂四十七士像など、庶民信仰に答えるからくりがいくつか見られるのが関心を引きました。
第33番 補陀洛山 那古寺(館山市) 真言宗智山派 創建 (伝)8世紀 開基 (伝)行基
いよいよ結願寺の那古寺(なごじ)です。那古観音とよばれる本尊は平安期の木造 千手観音ですが、大きな厨子に安置されている本尊 脇には 銅造 千手観音像(高さ105cm、鎌倉時代)がガラスケースに安置されていて、こちらは国重要文化財に指定されています。観音堂 外陣で読経のお勤めをした後、副住職に案内されて厨子のある内陣で30分ほど説法を聞かせてもらうのですが、この説法ほとんどコントのようで全員事ある毎に爆笑、大枚2000円払うと板東巡礼結願の証が頂けるのですが、そこで氏名を呼ばれて一人ずつ授与されます(私も申し込みました)。ただ、この副住職も本尊の千手観音像(平安期)は「田舎」の作りで、美術品でなくともありがたい信仰のための仏さまですと強調し、ご本尊に対する参拝者の思いを牽制するように諭しておられました。その昔は、観音堂すぐ脇まで海岸線が広がり、文字どおり観音浄土を求めて不帰の船出をした補陀洛渡海が行われたこともあったようです。板東結願の大寺院としてそれなりに豊かで、多宝塔も残りなかなか立派な寺院でした。
本尊の安置された観音堂。掲げられた額は「圓通閣」とあり、松平定信の揮毫とのことです。
これにて、巡礼が結願。本来ならば、長野県飯田の元善光寺、長野市 善光寺、別所温泉北向観音にお礼参りをするのが古くからの慣習だそうですが、ツアー元の阪急交通社が予定している3月の日程は、私には都合が合いません。折を見てまた別の機会にしようと考えています。 もちろん、秩父三十四観音巡礼も回りたいのですけれど。
最終回の今回は42名が参加。男性お一人さまはどうやら、同席の70歳前ぐらいの男性と私ぐらいですが、お隣の先輩は、西国、秩父も回り,板東は二回り目ということでした。鎌倉市内の観音さまを対象にした, 鎌倉三十三観音もすでに済ませたようで、話をしていると、若い頃からカメラ撮影の趣味があり、寺院でのシャッターチャンスを求めて巡礼を始めたようでした。今日はカメラは持参されていませんでした。同行した顔見知りの女性は、板東納経帳は何度も押印されて、朱や墨書で全く読むことができないほど。何がきっかけで巡礼を始めているのかはそれぞれ事情がおありなのでしょうが、私は寺社巡りや巡礼に参加することに違和感を感ずることがないようになってきました。歳なのかな。
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