2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 2024年8月 | トップページ | 2024年10月 »

2024年9月

2024年9月27日 (金)

自民党総裁選の失望

自民党総裁選の顛末。一次投票は地方票を含め第1位 高市早苗 第2位 石破 茂 。予想外の高市氏の健闘ぶり、とくに党員票はほとんど互角で、ひごろの石破候補の国会議員からの嫌われぶりから、これは?と思わせて東京株式市場は終了間際前日比1000円以上上げて39800円超が終値でした。ところが決選投票は急進保守の高市さんが嫌われて、結局、石破 新総裁 選出で、金融市場はがっかり、株式先物は37600円、ドル円相場は146円台から143円台まで急落しました。アベノミクス継承と初の女性総理でニューライトの自民党を期待していた市場は奈落の底まで突き落とされました。これほど優柔不断で大局音痴の石破総裁、総理では、来たる総選挙は相当苦戦して、ひょっとして立憲民主党に負けるかも知れません。金融市場の過剰期待、やり過ぎの見切り発車失敗ではなく、近い将来を見通した結果なのかも知れません。私も儲けそこないました。いやそれよりも、今の自民党を見損ないました。

2024年9月24日 (火)

対馬盗難菩薩像返還

2012年長崎対馬観音寺から韓国人窃盗団に盗まれ韓国に持ち込まれた観世音菩薩坐像は、2023年韓国最高裁判決で観音寺への返還が決定されました。それにもかかわらず、韓国政府は国内の反日世論に火をつけることを怖れているのか、日本政府の対韓外交でひたすら韓国政府から返還の申し出を待っているだけだったのか、返還手続きがさっぱり進展せず、観音寺側では日本政府に対する不信が取りざたされていました。
   今日の産経新聞ネット版によると、仏像所有権を主張していた韓国浮石寺が日本への返還を承諾したものの、浮石寺での「法要」を行うことを条件とすると報じられています。

しかし、浮石寺の主張はどう考えても異常で、ただ隙あらば仏像を実力行使で取り返し占有してしまおうとしているとさえ疑ってしまいます。数年前、フランスの美術館から文化財クラスの絵画の借出しの交渉を行って、返還を信じさせるに足る韓国国内法の未整備を理由にフランス側から拒否にあったことがありました。その状況はまだ変わっていない筈で、公的な美術博物館ですら信頼を得ていない、国境を越えた文化財の取扱いの国にあって、数百年前の所有すら認められなかった寺院の「条件」など応諾する道理はないと言えます。仏像帰依の宗教心というよりかの国特有の、最後の最後までひと粘り、ふた粘り、いつか相手が情にほだされるか、諦めて自分たちの正当性を主張し有利な状態に持ち込もうとするパフォーマンスに思えて白々しく感じます。保管庫から仏像を持ち出す際に、韓国政府、日本政府スタッフ立会(監視)のもとで読経してもらえば十分でしょう。

 

ところで、ニューヨークで上川外相と中国王毅外相の会談があり、先日発生した深圳日本人男児刺殺事件をめぐり上川外相が中国世論の反日デマゴークを抑制すべきだと抗議していました。中国側は反日教育などないといつもの嘘をついてシラを切ったようですが、驚いたのは芥川賞作家の平野啓一郎氏が早速、ツイッターで上川外相の主張にケチをつけていたことでした。外交の場に「反日」という無礼はおかしい、ということらしいですが、平野氏の外交音痴や中国への過剰な儀礼意識に唖然としました。お門違いなリベラル思想となんでもかんでも、自民党政府へのアンチ一言居士ぶりにはいつも疑問に思っていたのですが、ますますこの人物はルーピー鳩山一派に近くなりつつあるようで驚きました。なによりも日本の庶民の対中失望感に背を向けているようです。上川外相は虚心に日本国民の願いを申し入れたにすぎません。とにかく、記事を読んで平野啓一郎氏の独りよがり正義にドン引きしました。

2024年9月20日 (金)

大谷翔平51&51

朝は6時前に起きてNHK BS1 メジャーリーグのドジャーズ戦を9回最終イニングまで見てしまいました。

スーパースター大谷翔平の6打数6安打10打点3本塁打2盗塁その結果51ホームラン、51盗塁をリアルタイムで観戦することができました。まるで漫画の世界の主人公です。翔平ファンが待ち望んでいた、固め打ち、爆発的活躍で一気に記録達成の瞬間でした。

おかげさまで足底の不快感や痛みをその間はすっかり忘れてしまっていました。狭窄の神経痛のバイパスを遮断されていたようです。きっと除圧手術をしても痛みが残るのは、「痛みの記憶」に囚われている状態であるのかも知れません。「痛みの記憶」は脳だけでなく脊髄の中の神経にだってあるのでは。心理学的記憶も生理学的記憶も、痛みとして認知されると区別ができなくなりそうです。夢中になって痛みを忘れていた、という現象は十分真実に近いことであるのでしょう。朝から今日は薬無用の状態です。

2024年9月15日 (日)

リハビリも過ぎたるは及ばざるが如し

午前中1時間近くリハビリを綿密に行いました。股関節周囲筋の筋力エクササイズとしてボールを両ひざに挟んで力いっぱいを繰り返す、ゴムバンドで両ひざを縛りつけて肩幅まで広げるを繰り返す、などを行います。腰の手術部分に響かないように注意しますが、リハビリ終了して2,3時間もすると踵から土踏まずにかけてじんわり痛みが出てきました。やり過ぎでしょう。何事も過ぎたるは猶及ばざるがごとし。デリケートなもんです。

2024年9月 9日 (月)

退院後の初診察

本日は午後に手術後20日の経過観察です。

病院で受付後血液検査、腰部レントゲンを受けることになります。待合室は月曜日で患者が30~40人ほど、かなりの盛況でした。採血検査の結果が出るまで1時間ほどかかるので、その間はリハビリテーション室でストレッチと新しい科目の体幹トレーニングを教えてもらうことになりました。もちろん中高運動部のきつさとは無縁ですが、さりとて中高年向け健康体操よりははるかに本格的なトレーニングではあります。パンフレットをもらって30分ほどガイダンスにとどまる時間でしたが、手術後150日は治療として健康保険で認められるので、予約をすればいつでも理学療法士のレッスンを受けられるとのことでした。

   今日は久しぶりの暑さで汗まみれ、病院到着後に一度ポロと下着を着替え、リハビリの前にパンツをジャージに着替え、診察前にもういちどパンツを履き直し、ポロ、下着を着替える破目になりました。さらに主治医の診察までに40分ほど待ちました。もう病院で待つことに慣れているし苛々しませんでしたが、いくつか医師に質問すべきことを飛ばしてしまったので、後で考えるとそれなりに疲れていたのかと思います。

診察でのポイント。

①腰椎椎弓の切除箇所は、第4腰椎の椎弓下辺と第5腰椎椎弓の上辺。第5腰椎椎弓下辺と第6腰椎椎弓上辺。第5、第6上辺は小さい穿孔。

②血液検査は問題なし(コピーをもらい忘れました)。レントゲンはPC画面に後方に反った脊椎側面画像が出ていて、あまりのきれいさに自分のものとは思えませんでしたが、主治医に褒めてもらえたほど椎間へたりもすべりも見られず健全な状態でした。退院後毎日リハビリをした結果なのか、コルセットで歪みが一時的に修復されているのか聞きそびれました。次回の診察でこのレントゲンと、MRI画像をデータでもらうことにします。このレントゲン画像で、すべり症を確認できなかったのですが、なぜだか不明のままです。

③採血の時、看護師に「手術後の満足度は10段階でいくつですか?」と聞かれてうっかり「7点かな? 」と大甘の点数を言ってしまったことは先生に報告されていたと見えて、にこにこ上機嫌でした。術後、痺れが両足均等に出るが痛みに変わる手前で終わる、と告げると安静時か活動の結果か念を押されます。術後1万歩は歩けたというと多少驚かれましたがますます上機嫌で、大変良好な経過、とのコメントでした。

④両足底の痺れは「気長に改善を待ってください」とのこと。3か月程度はかかるだろうといいます。退院後NHKの健康番組『チョイス』の録画DVDを引っ張り出して、2022年4月放送「脊柱管狭窄症対策の新常識」の中の除圧手術患者が、痺れと痛みが完全に消えるのに7か月かかった、という場面を再確認しました。もっとも患者個々でかなりの差があり気長に待てるかどうかはこれからです。

⑤いいかげん楽観的な会話に終始したので、医師もお忘れになったのか、手術痕のチェックもなく、私自身、いつから温泉に行けるのか聞きもらしました。傷口は糸も消えくっついているようなので1か月も経過すれば勝手に良しとしましょう。もっとも旅行の計画は11月下旬まではありません。

⑥痛み止めは適宜服用しても良い。ロキソニンは避けて、医師にトラマドールとオパルモン(血流改善薬)を処方してもらいました。トラマドールは非常用です。


次回は術後3か月、11月の診察でMRI検査と合わせて受けることになります。

2024年9月 4日 (水)

退院後初めての1万歩

 

前売り券を買ってあった東京国立博物館特別展「神護寺」をもう一度見るために上野に行くことにしました。一人で歩いて体調不良にでもなると厄介なので介添え役のかみさん同伴です。神護寺展は8日(日)まで、先週の台風もあって延び延びになってしまい、やっとこの日出かけることになりました。幸い、すっかり秋の風で最高気温も30℃未満、爽やかな空気で湿気もありませんでした。

昼食は東京日本橋の室町砂場。1月の大相撲以来半年以上たっています。いつもの、卵焼き、焼き鳥塩、もりそばの組み合わせですが、卵焼きも焼き鳥も今日は淡泊、少し気が抜けた味でいつもどおりとはいえませんでした。日によってあるいは、調理場の人か時間繰りのせいか分かりませんが微妙に味が変わることがあるようです。

 

 

240904114402432
以前は冷水など頼まなければ出なかったのに、 お茶と冷水コップが黙ってても出てきます

240904114937666

 

東博は公園遠くから多くの人の行列が見えてがっかりしました。蛇のとぐろのように何重にも行列ができチケット1枚買うのに30分かかりました。デジタル前売りチケット(イヤホンガイドつき2400円)は2回目は一人で来るつもりで1枚しかなかったのです。特別展閉幕間際で全国紙新聞に評論レポートなどが出たのでたくさんの人が押し寄せたのでしょう。会場の混雑で嫌気が差したのか、途中で「もう帰ろう」と声を上げる高齢者カップルを何組かお見かけしました。当然、疲れました。退院後初の遠出、歩きだったので慎重にしていましたが、午後4時ごろ帰宅すると11000歩を越えていました。足裏のじんじんした痺れのような感覚があり、やばいなあ、と身構えました。しかし、じんじんはしても、幸い、以前ならそれに続いた痛みには至りません。この痺れがなくなると大成功なんですが、いやはや、いつ頃でしょうか。待ち遠しくもあります。

240904123151314if_1_burst240904123151314


240904123755492if_1_burst240904123755492
いつもは見たことがない入場券売り場の行列   発券機まで30分

240904125238685
神護寺展会場ではありませんが構内の表慶館そばの百日紅 (紅白あります)が美しい


上野公園の大噴水手前、カフェ EVERYONEs Cafe と動物園前交番の間の通り道は、樹木から毛虫の青虫がふんだんに落ちていてあやうく踏んでしまいそうになったり首筋に落ちて来る恐怖でかみさんがうるさく小パニックでした。まさに秋。

2024年9月 3日 (火)

石井直方先生(69)の死去

筋肉トレーニングによる筋肉肥大、健康維持の生理学的研究で著名な功績をあげた東大名誉教授 石井直方先生が胆管がんで亡くなりました。

石井先生は2016年悪性リンパ腫ステージ4を発症、克服したものの2020年65歳で胆管がんステージ3が見つかり外科手術のあと闘病の日々を送っていました。高齢者のロコモシンドロームを阻止しようとこの2月に「いのちのスクワット」を出版され、私もさっそく買い求めて熱心に読んでいました。筋トレの効用を学術的に解明し成果を挙げた我国で最初の研究者であると思います。69歳でまだまだこの研究の第一人者であり続けると期待されていました。まことに惜しい方を失いました。
  衷心より石井先生のご冥福を祈ります。

 

午後、3か月ぶりの歯科受診で歯垢クリーニングに行きました。クリーニングは15分ですぐ終了し12月に次回予約をしました。
先生から「前回から3か月丁度経過してしまったので、初診扱いになってしまった。ごめんね」と言われ、何のことか、と一瞬思いましたが、領収書を後で見ると、「 初診 270点(=810円)」請求されていました。先生の忠告を生かせず、次回も3か月を超過して予約してしまいました。失敗。

« 2024年8月 | トップページ | 2024年10月 »