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文化・芸術

2025年5月29日 (木)

サントリー美術館「酒呑童子展」

東京都港区赤坂 東京ミッドタウン ガレリア3F サントリー美術館で開催中の特別展「酒呑童子ビギンズ」(~6月15日)を見ました。

友人夫妻とビルの中で昼食をとった帰り道に立寄ったものです。酒呑童子とは平安時代 丹波大江山に根城をもち悪行三昧をしていた悪鬼 酒呑童子が源氏武将 源頼光に退治される物語です。酒呑童子という妖怪が何を象徴し戒めとしたのか当時の人々のこの伝説への理解を知ることはできません。この展覧会ではサントリー所蔵の狩野元信筆 酒呑童子絵巻(江戸時代、重要文化財)とドイツ ライプツィヒ民族博物館の酒呑童子絵巻(住吉廣行筆、江戸時代)が惜しみなく披露されています。この物語の面白さはいまひとつ分かりませんでしたが絵巻の精緻な筆さばきは見事でした。


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2025年4月25日 (金)

皇居三の丸尚蔵館展覧会

皇居東御苑内三の丸尚蔵館で開催中の展覧会「百花ひらく」(https://shozokan.nich.go.jp/exhibitions/2025flowers.html) 3/8~5/6を見に行きました。

 

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尚蔵館は献上品など皇室所蔵の財産を収蔵、管理する施設で通常非公開ながら不定期ですが特別に一般公開する展覧会を行っています。いわば歴代天皇家の現代版正倉院ともいうべきものです。今回のテーマは四季の花をモチーフにした古書美術工芸品の公開で、古くは平安時代の文書、中国元の絵画などが含まれていましたが、中心は明治から昭和の工芸美術品でした。全部で40点あまりの小規模な展示ですが、なかでも入場者を引き付けていたのが、伊藤若冲 動植綵絵2点(国宝)です。これは期せずして若冲を雑踏なしで鑑賞できるまたとない機会でしょう。

金曜日の東御苑は休園日で、東京駅正面大手門からこの展覧会入場者だけに限られます。尚蔵館入場は事前予約が必要ですが私たちは当日3時間前にインターネットで12時からの枠が取れました。とはいえ、時間枠入場数に余裕があれば当日予約なしでも可、今日は予約の20分前でも入場が許されました。畏れ多くも、周知不足なのか混雑なくゆったり会場内を回遊することが可能でした。入場料は大人1000円です。

 

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明治期工芸の 紫檀、漆塗の豪華な箪笥 「四季草花蒔絵棚」

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明治期前期  幹山伝七 「色絵四季草花図食器」陶磁一式



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まったく読めませんがなぜか心浮き立つ見事な書(絹本墨書)    中林梧竹「草書自詠詩(七十七自寿詩)」(明治36年1903年)   

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大半の展示作品は写真撮影可能ですが残念ながら伊藤若冲は撮影禁止でした

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丸の内オフィス街高層ビル群に囲まれた東御苑    左 尚蔵館は現在拡張工事中です



皇居の後は日本橋室町砂場で昼食、三重テラスで伊勢うどんなど、有楽町に向かい秋田物産館で味噌(「百年蔵」) 購入、甘味処おかめでデザートと大忙し。12000歩の強行軍で今週月曜以来の疲れが噴出しました。

2025年3月30日 (日)

川崎浮世絵ギャラリー

 本日は先日に続いて墓参り。かみさんの父親の命日はその時桜満開の3日後でしたが、少し早めにお参りすることにしました。川崎大師近くの菩提寺門前の桜も運よく満開で、風もなく5 月並みの暖かさの中、順調にすませることができました。

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菩提寺山門わきの桜  右側に桐の木がありますが花はまだ咲いていません(五月)

墓参の後は恒例に従い川崎大師平間寺参拝です。数少ないものの境内染井吉野が満開でした。

 

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川崎大師境内の木瓜(ぼけ) 桜に負けず春の訪れを訴えていました

 

帰宅途上、JR川崎駅前タワー・リバーク3階にある川崎浮世絵ギャラリー~斎藤文夫コレクション~の展示を見にいくことにしました。元参議院議員(神奈川選挙区)で著名な浮世絵蒐集家 斎藤文夫氏(1928~2024)のコレクションが川崎市文化財団に寄贈され展示されています。今回は明治、大正、昭和の新版画といわれる作品をテーマにした、「新版画ー風景画の変遷」(後期 3/20~4/20)です。その中心は『昭和の広重』と呼ばれた巨匠 川瀬巴水(1883~1957)の作品で、巴水をふくめて全部で68点紹介されていました。Apple創業者 ステイーブ・ジョブス(1955~2011)が熱愛した巴水の新版画はさすがに精緻、深い陰影と色使いで秀逸です。14点の巴水作品が鏑木清方、いくつかの広重(2代目)よりもより多くの観客の注目を浴びていました。

 

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常設展示スペースは小部屋3つほど    入場料 500円

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入口に掲示されていたポスター    中央に巴水 新東京百景 芝大門の雪

 

 

 

2025年3月 7日 (金)

サントリー美術館「ガレ」

サントリー美術館(東京都港区赤坂9丁目 東京ミッドタウン ガレリア3F)で開催中の展覧会「没後120年エミール・ガレ:憧憬のパリ」(~4/13)を見に行ってきました。

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エミール・ガレ(1846~1904)はフランス北東の古都 ナンシーのガラス工芸品、陶磁器小売店の息子に生まれ1873年工房を造り、やがて1877年家業を継ぎます。ガレはその作品を1878年パリ万国博に出展して注目を浴び、やがて1889年パリ万国博では数々の賞を得る大成功をおさめます。その間、1885年には日本の農務省官僚で日本画家でもあった高島得三と出会い日本画の影響を受けて「ジャポニズム」と呼ばれる潮流を生み出しました。1889年万国博出展の際には、ガレはガラス工芸品300点、陶器200点、家具17点を用意したといわれます。陶器、家具もエミール・ガレが造り続け、その短い生涯で数多くの作品を生み出すエネルギッシュな人物像を象徴していました。しかし、20世紀に入りガレは次第に体調を崩し1904年白血病で亡くなりました。58歳でした。

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大活躍時代のガレ肖像 (1889、43歳)


この展覧会、総数80点以上の各工芸品の展示は圧巻です。全作品を写真撮影できる画期的な展覧会で若い美術愛好家、学生などがスマホや一眼カメラを手にして熱心に鑑賞していました。ガレと言えば妖艶で幻想的な色使いの茸のランプがすぐに思い浮かびますがこの展覧会ではその生涯に沿って、若い時代のジャポニズムの陶器やガラス器は落ち着いた、むしろ地味な、渋い色調の作品から、熟年、晩年に従って我々のイメージに近いガレになって行く過程が見られて興味深いものがあります。頑固なガラス職人気質だけでは辿り着かない豊かな才能を有した芸術家であったことがよく理解できます。幼いころからガラス工芸品に囲まれて才能を培っていたのでしょう。きらきらした作品を眺めるだけで楽しいものでした。

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ジャポニズム調の陶磁器  鉢クレマチス(1889)

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花器 草花 (1889~)

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花器 鯉 (1878)パリ万国博デビューの内の作品

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モスクランプ風花器 蝙蝠・唐草(1889)


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一目でガレと分かる例の ランプ「ひとよ茸」(1902)


美術館の前にはいつもの日本そば 赤坂砂場で昼食です。少しのんびりして正午15分前に店に入りましたがテーブル席(5テーブル?)はすべて埋まっていて座敷席しかありませんでした。狭い畳部屋で足を伸ばしても胡坐をかいても窮屈。かみさんともども閉口しながら定番のもり、玉子焼き、焼き鳥塩で砂場を堪能しました。それにしても快晴のこの日、大量の花粉が飛び交い鼻水、くしゃみに悩まされ散々でした。

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2025年2月 5日 (水)

歌舞伎座猿若祭で蔦重(つたじゅう)

銀座歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎をかみさんと連れ立って見に行きました。尾州藩愛知郡中村出身の狂言師  初代 猿若勘三郎(1598~1658) が江戸に下り1624年 芝居小屋 猿若座を立ち上げ江戸歌舞伎の発祥となったことを記念したお祭りだそうです。猿若は 本名 中村勘三郎で現在の中村屋につながる系譜といわれます。猿若座は後に中村座となります。また猿若の長男が初代 中村 勘九郎 (生没年不詳) でした。

二月歌舞伎 昼の部 演目は「 其俤対編笠  鞘當 (そのおもかげついのあみがさ   さやあて) 」、「 醍醐の花見 」と「 きらら浮世伝    版元蔦屋重三郎魁申し候 」です。「鞘當」「醍醐の花見」はそれぞれ30分ほどの小編、長い演目の一場面だけを再現したものでこれだけでは面白味も分からず退屈でした。「きらら浮世伝」副題の「 魁(かい)」とは先駆け、先陣を切る者、転じて大きく立派なもの、という意味、重三郎は物事を誰よりも早く始め時代を先駆けた、という意味合いなのでしょう。

  二月歌舞伎「きらら浮世伝」は現在放送中のNHK大河ドラマ「 べらぼう   蔦屋栄華乃夢噺(つたやえいがのゆめばなし)」と同じく、江戸時代 メディア王 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう 1750~1797)の活躍を描いた新作歌舞伎です。大河ドラマに便乗した新作かと思ったものの、実は1988年(昭和63年) 銀座セゾン劇場 で、主人公蔦屋重三郎を 五代 中村勘九郎(のちの十八代 勘三郎)が演じ、美保純、山村美智子、原田大二郎、川谷拓三などが出演した劇「寛政期の青春グラフィティ きらら浮世伝」の歌舞伎化初演でした。脚本演出は どちらも 横内謙介です。横内は下北小劇団の若手座長でした。中村屋が演じた元々所縁のある舞台、それもどちらも横内脚本とあればこちらの方がオリジナルといってよさそうです(大河ドラマ脚本は森下佳子)。

 

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二月歌舞伎チラシ   松竹も力が入っているのか  珍しい二つ折り四ページのチラシです(表紙と3頁目)


  歌舞伎でありながらオーケストラ演奏の音楽が使われ、モダンな簡潔な大道具背景、演者のテンポの早いセリフ回し、きびきびした所作、話の展開もスピード感にあふれ、新作歌舞伎の真骨頂を感じられてまことに楽しい舞台でした。

     吉原遊郭生まれ、遊郭育ちのもらわれっ子 重三郎が錦絵の目利きとなり出版を志してのし上っていき歌麿、写楽の稀代の絵師を育て一世を風靡するも幕府の弾圧を受ける半生を描いています。蔦屋重三郎の周囲には江戸庶民文化の担い手となる絵師、彫り師、戯作者などがその人柄を慕って集まったそうで、多士済々が劇中に表れます。歌舞伎座筋書を読んで初めて気がついた人物の若い時代ばかりで、芝居を見ている間は誰が誰やら判別できないですし史実かどうかを疑いました。Wikipedia の受売りですが記録に残った事実のようでした。

     恋川春町(戯作者 1744~1789)、太田南畝(狂歌師 1749~1823)、 喜多川歌麿(1753~1823)、 山東京伝(1761~1816)、 葛飾北斎(1760~1849)、 瀧澤馬琴(1767~1848)、十返舎一九(1765~1831)などが劇中に登場します。



NHK大河ドラマは序盤 吉原遊郭の裏世界を赤裸々に描いていて、そのリアルさにPTA団体から苦情が殺到しそうな悪い予感をしていますが、この新作歌舞伎は遊郭描写が省かれ独立後の重三郎の躍動、爽快さ、エネルギッシュさ、不屈の闘志の爽やかな描写で分がありそうです。それも当代 中村 勘九郎の演技巧者によるものだと思います。勘九郎の舞台はますます磨きがかかり中堅役者のうち図抜けた存在になっています。

この舞台を見てこれからのNHK大河の版元立ち上げ後の蔦屋 重三郎の活躍も楽しみになってきました。
二月歌舞伎 「きらら浮世伝」、一見の価値あり。

 

 

 

2025年1月29日 (水)

東博特別展「大覚寺」

東京日本橋のレストランTOYOで3人爺様(2024年11月25日ブログのA氏、B氏と私です)で昼食会をしました。腰部障害克服者同盟会議です。ここでは老人性病状ならびにその終末対策の話題でした。その集まりの前に三重県物産パイロット店三重テラス(東京都中央区日本橋室町2-4)に立寄ると虎屋ういろ(本店松阪市)を発見、思わず購入しました。都内及び近郊都市デパート催事で虎屋の出張販売を見かけますが、ここでは初めてでした。ラッキー!

 

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会食後、両氏と別れて一人、上野公園東京国立博物館で始まった
            特別展「旧嵯峨御所 大覚寺ー 百花繚乱 御所ゆかりの絵画ー」(1/21~3/16)
まで足を伸ばすことにしました。国立博物館の前に国立西洋美術館を通り過ぎると、入口前庭園に長蛇の列です。外の道路まではみ出していて、見たところ入場までに2時間ぐらいはかかりそうな気配です。列最終のプラカードを見ると「入場券をお持ちの方」とあり券を持っていても入場待ちなのでした、驚きです。大好評開催中の企画展「モネ睡蓮」(2024/10/5~2025/02/11)見たさの人々が詰め掛けていました。これでは閉幕までの期間で来るのはさすがに無理でしょう。3月7日から京都市京セラ美術館、6月21日から愛知県豊田市美術館に巡回する予定なのでどうしても見たければその機会を逃さないことです。

大覚寺の正式名は旧嵯峨御所 嵯峨山大覚寺門跡( 創建876年)で、現在は真言宗大覚寺派大本山の厳粛な寺院。そもそも嵯峨天皇(786~842)退位後の離宮として始まり、そののち後宇多天皇(1267~1324)の院政地となった歴史があります。そのためか大寺院のわりには仏教美術品に乏しく、私にはTV時代劇のロケ地ぐらいの認識でしかありませんでした。


博物館入口で『入場20分待ち』とあり女子高校生姿の多いことに奇異な感じを持ちましたが、これは同時開催中の表慶館「ハローキティ展」入場者たちでした。アジア各国からのファンも大挙詰めかけていました。

  さてかんじんの大覚寺展ですが、入場早々 本尊「五大明王像」(室町~江戸初期、5体のうち3体が重要文化財)ならびにこれも平安後期五大明王像(明円作、すべて重要文化財)の2セットの展示があり圧倒されます。しかし仏像はこの第1章「嵯峨天皇と空海」展示のみでその後は天皇宸翰や襖絵ばかりで全部で60点に満たない陳列で私は興味を惹かれませんでした。ただし重要文化財である狩野山楽の襖絵の数々は巨大なスペースを惜しみなく提供されていて見事なレイアウトに感心しました。この特別展で本尊明王像群、襖絵を出開帳して本拠の寺にはなにも残っていない光景すら頭に浮かんできました。日本絵画に興味のある方には一見の価値がありそうです。

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会場は博物館奥の平成館

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本尊五大明王像  最大2mを越える巨大明王群が強烈な印象で出迎えてくれます

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極めてユニークなレイアウト の障壁画展示  


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ショップで頒布されていた御朱印は1200円でした   びっくりしました
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表慶館ハローキティ展 若い女性に大人気

2025年1月24日 (金)

両国2025年初場所観戦

大相撲初場所13日目の取組を両国国技館で観戦しました。

JR東日本ジパングクラブで2階椅子S席販売があり購入できたのです。大相撲のチケットは協会HPの抽選で購入できますがファンクラブ優先で一般抽選前にはS席はまず売切れです。おまけに昨今の大相撲人気で椅子席A,Bもなかなか当選しません。ジパングでS席先着順販売を見つけて「これはラッキー!」とばかりに申し込んで買えたは良いのですが、なぜか二人分だと思いこんだ料金が相撲茶屋お土産付き一人分でしかなく、そのうえキャンセル不可の但し書きを見て青くなってしまいました。結局ジパング事務局に電話をして、かみさんの分も追加で申し込んでこの日を迎えたというわけです。相撲協会定価S 9500円が相撲茶屋弁当お土産付きで一人21800円、1階桝席分ぐらいになってしまいまたまた注意力散漫のボケ大失敗です。それでも今回は2階最前列の願ってもない椅子、お茶屋お土産もあり、与太話のネタとして、一人納得でお笑いご赦免ということにしました。

   今場所大相撲は、横綱を狙う両大関 豊昇龍と琴桜への期待、平幕若手 金峰山、王鵬の躍進、ひそかに復活を狙う元大関 霧島の乱戦で常にない面白さ、終盤の番狂わせ連発で国技館内は大いに盛りあがっていました。コロナ自粛もひと段落して下手な掛け声もかかり中年女性の絶叫が耳障りなものの肝じんの取組は楽しめました。休憩時間の場内売店は大行列、外国人観光客も多く連日の満員御礼でなかなかチケット入手困難の状況がうなずけます。正規料金抽選でめったに手に入らないので割高チケット購入も已むを得ません、今日のジパングチケットは7人買われていたようで隣のお一人様男性もジパングでした。

弁当お土産は6000円ぐらいのものでしょうからまあ我慢できる範囲でしょうか? それにしてもボケ発症は情けなく悔しいものです。

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今日は小春日和、快晴   力士幟がはためいて情緒あり  場外入待ちファンの間を縫って歩きます

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午後4時前の幕内力士入場の頃には場内観客がすしづめです

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両国は各場所、連日大入り満員で大相撲人気完全復活というところ  このところ抽選では入手困難

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相撲茶屋のお土産各種     到底食べ切れず残念ながらおすそ分けになります

2025年1月 4日 (土)

初春大歌舞伎「熊谷陣屋」

2日から開幕の銀座歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」観劇に参りました。夜の部 「熊谷陣屋」「二人椀久」「大富豪同心」です。

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歌舞伎十八番「一谷嫩軍記 熊谷陣屋(いちのたに ふたばぐんき くまがいじんや)」は1751年大坂豊竹座人形浄瑠璃で初演、翌年に歌舞伎に取り入れられた名作、近年では初代および二代目  中村吉右衛門を始め 歴代千両役者が主役 熊谷直実(1141~1207)を演じた人気演目です。  1184年摂津国一ノ谷 (現在の神戸市須磨区)で源平の戦があり、源氏方武将 熊谷次郎直実(なおざね)が 平氏 若武者 16歳の平敦盛(あつもり)の首を討つ手柄話に由来します(「源平盛衰記」)。

これを浄瑠璃では、熊谷は敦盛の命を助け身代わりに熊谷最愛の息子で同い年 熊谷小次郎の首を討ち源氏総大将 源義経の首検(くびあらため)に差し出すという逸話に作り直されています。平敦盛は後白河法皇の落胤で、源義経は法皇と通じ敦盛の助命を熊谷に命じたという筋書きです。

義経は明瞭に敵方若い武将を助けよ、と言明したわけでなく熊谷陣屋に咲く見事な桜の樹にからめ
  『一枝を伐(き)らば一指を剪(き)るべし』の制札を与えて義経の意向を暗示し熊谷が主君の意をくみ取ったのでした。

源平盛衰記では幾多の武功を立てた熊谷が、年端のいかぬ敦盛を始め多くの人を殺めた悔恨で世を儚み出家したと伝えています。史実で熊谷は法然の弟子となり出家し蓮生と名乗って弔いの生涯を送ります。実際に蓮生の自筆文書も残されています。浄瑠璃では熊谷の心の苦しみを表すために、さらに衝撃的な舞台設定を作り出し武者世界の残酷さや、無常を背景に語られたのでした。表題の「ふたば」とは16歳の敦盛と小次郎と、希望に満ちたはずの若者二人を象徴した言葉です。

初めて熊谷陣屋を見たのは、国立劇場での中村吉右衛門(二代目、平成2年)です。最後の場面で「十六年は一昔、夢だ」 と嘆き一人語ち去っていく熊谷の僧侶姿は今尚記憶に残っています。今思い出しても感動的な吉右衛門歌舞伎でした。


公演ごとに脚本が大変わりするのかどうか分かりませんが、今回の熊谷は物語背景を事細かに説明しようとする台詞が多く、また義経役の大御所 中村芝翫の台詞が過剰で熊谷役 尾上松緑が霞んでしまい、熊谷の悲嘆が印象薄くなっていました。
素人の稚拙な感想で言いますと、台詞が理屈っぽく解説調で、やや冗長、平板な展開になってしまい残念でした。
もちろん名作は名作であります。

続く清元長唄、舞踊だけの「二人椀久」での尾上右近の踊りは見事でした。TVのバラエティ番組にでる若手役者としか知りませんでしたが、さすがに芸達者な才気あふれた若手役者です。

 

初春大歌舞伎の目玉は最後の新作歌舞伎「大富豪同心」です。今回歌舞伎座にやって来た若い女性たちはNHK BSで大人気シリーズ時代劇の舞台化お目当てでしょう。我々夫婦は、根っからの歌舞伎ファンの多い割安3階A席で観劇しました。お隣の若い20代前半の女性2人は、熊谷陣屋ではコックリコックリしていましたが、大富豪同心の主人公役 中村隼人や、幇間役  尾上右近には拍手喝采で熱狂していました。いや、ミーハーなのは若い女性ばかりではなく、うちのかみさんも『 隼人くん 』の大フアンなのです。中村隼人の一人二役早変わりや右近の主役を食ってしまうような溌剌さでこの演目も大変楽しめました。なんとグランドフィナーレはTVと同じく全員のおちゃらけダンスが披露されましたが、新作歌舞伎も新鮮さ、革新的趣向で観客が楽しめるのだからこれも佳しとすべきでしょう。

 

4時30分から9時直前まで途中2回の休憩をはさんでたっぷり初春歌舞伎を楽しめました。チケットの売れ行きはいま一つのようですが、1月26日の最終公演までいかずともそのうち大好評になると思います。

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2024年12月14日 (土)

新春歌舞伎 人気演目

今朝の朝刊紙に東京歌舞伎座の1月「壽 初春大歌舞伎」(1/2~1/26)のチケット一般販売が本日午前10時開始と広告があって
興味をそそられました。

4:30から始まる夜の部の演目に歌舞伎十八番*『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』(尾上松緑)、NHKでおなじみ人気時代劇 新作歌舞伎『大富豪同心』(中村隼人)があったからでした。さっそく松竹Web チケット販売で3階A席 (@6000円)を2枚買い求めました。ほとんどの日、まだ1等席から3階B席まで席の余裕があるようですから、出だし人気いま一つのようです。先々月、間違って買ってしまった大相撲初場所のお土産付き2階席とともに来月は物入りですが、ともかく楽しみです。

    *一谷嫩軍記 熊谷陣屋  :「 いちのたにふたばぐんき くまがいじんや 」と読みます。18世紀初演浄瑠璃が歌舞伎になったもの。
      源氏方武将熊谷直実の、摂津国一の谷の源平合戦にまつわる物語です。

2024年11月 1日 (金)

野中寺弥勒菩薩を拝観できました

東京日本橋  三井記念美術館で開催中の 特別展「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ガンダーラから日本へ」(~11月12日)をかみさんと連れ立ち見に行って参りました。インドを起源とする仏教は中央アジアのガンダーラ、バーミアンで豊かに花開き、上座部仏教として東南アジア、大乗仏教として北東アジアすなわち隋、唐、朝鮮半島、日本列島へ伝播し教義が発展していきました。北東アジアにおいて、弥勒は釈迦に次いで悟りを得て仏(如来)になる存在であり、釈迦入寂後56億7千万年後に降臨し衆生を救済するという信仰が盛んになったといいます。降臨するまでの間、弥勒は兜率天(とそつてん)という世界で修行に励んでいてその時に備えているとされます。

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今回の特別展ではその弥勒信仰のガンダーラ(1~5世紀)、バーミヤン(6~8世紀)での伝世品(仏像彫刻、硬貨、遺跡資料)、随・唐の経典、三蔵法師仏典、日本の飛鳥時代からの弥勒菩薩像が展示されたきわめて学術的な資料展と思います。ちなみに、弥勒(インド名 マイトレーヤ)とは実在した弟子の一人で、後継者として釈迦自ら名指ししたと伝えられています。

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展示会図版(ガイドブック) 学術的、専門書のよう。 表紙画はガンダーラ弥勒菩薩(2~3世紀) 平山郁夫シルクロード美術館


2001年タリバンによって爆破されたバーミヤン遺跡は1960年代から名古屋大学、龍谷大学、京都大学などの学術調査隊によって探査が行われ、また日本画の大家 平山郁夫(1930~2009)元東京芸大学長によってシルクロードの壮大な景観がいくつも描かれ残されています。この展覧会はその学術調査資料、平山郁夫画伯が蒐集した美術工芸品(平山郁夫シルクロード美術館蔵)、日本各所寺院安置の弥勒菩薩像が多く展示されています。 歴史の経過、伝播した地域的変容、そして我々に近しい日本仏教における弥勒信仰がよく整理され、分かりやすく説明されていて充実した企画に感心しました。
     20体を越える日本の弥勒菩薩像は圧巻で私がそれを目的に来場した甲斐がありました。特に大阪府羽曳野市 野中寺(やちゅうじ)の秘仏 弥勒菩薩半跏像を拝観できたことはまことに幸運でした。野中寺弥勒像は毎月1回18日に開扉される仏さまです。野中寺は聖徳太子に命じられた蘇我馬子が創建した寺院でこの弥勒像台座には丙寅年(666年)、弥勒の銘分がある歴史的価値のある仏像とされています。像高30㎝あまり、頭部が大きく可憐な表情で飛鳥仏特徴を有し、台座の衣文は力強く美しい銅造像(鍍金)です。

Photo_20241103200306重要文化財 銘文により斉明天皇病気平癒を祈願し造立されたとされます  30㎝の小像ですが際立った存在感があります
この4月18日に葛井寺などの南河内参拝旅行で野中寺に行けなかったものの今回拝観を果たせました


野中寺秘仏のこの弥勒菩薩半跏像を拝観できただけで充分満足させて頂きましたが、展示室7「日本の弥勒信仰」に展示された法隆寺その他の有名寺院所蔵の仏像はどれも逸品が多く見とれました。なかでも収蔵先記載のない、鎌倉時代13世紀 弥勒菩薩立像(興福寺伝世品とされ、現在はおそらく個人所蔵)は写実的で全体のバランスに優れ、彫刻も緻密で美しく際立ち入場者の注目を浴びていました。

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大乗仏教弥勒信仰の最終地はこの日本ですが、中央アジアでの弥勒は男性的、勇猛な姿から唐でははやくも穏かで瞑想的、やさしく女性的な姿に変容、この日本の地では明らかに女性の姿になぞらえて形作られた変容の謂れを知りたいものですが、残念ながらこの展覧会だけでは知り得ませんでした。いつか解明したいものです。

入場料は70歳以上のシニアは300円引き1200円、サントリー美術館メンバーも提携割引で1200円。良心的な価格設定です。三井記念美術館の後は、三重県テラス(物産パイロット店)でお目当て、伊勢うどん、長餅を、有楽町交通会館まで足を伸ばして、秋田ふるさと館で秋田米味噌「百年蔵」を購って帰路に着きました。

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