15日から4泊夫婦連れだって奈良と京都木津川南山城を旅行しました。長らく訪れようとして適わなかった明日香と当尾(とうの)の散策です。
第1日 3月15日(日)奈良橿原へ移動、橿原神宮参拝
東海道新幹線新横浜発ひかり号で京都経由、近鉄橿原神宮前駅まで移動、橿原神宮駅前1分のグランドメルキュールホテル橿原に宿泊(2泊)をしました。ひかり号は外国人観光客の周遊フリーパスで人気があるため、途中駅での乗り下りで入れ替わりがあるもののほぼ満席です。
ホテルに荷物を預け早速、橿原神宮を参拝しました。橿原神宮は1890年創建の新しいが旧国家神道官幣大社、主祭神に神武天皇を祀る大神社です。橿原には天皇の畝傍橿原宮があったと伝えられます。日曜なので参拝客もそれなりにいましたが広大な境内は静謐が保たれ厳粛な空気に包まれています。
近鉄橿原神宮前駅中央(西口) 駅前は見事になにもありません
第一鳥居 あいにくの曇天
橿原神宮外拝殿
参拝後ホテルにチェックインし休憩後、夕食をとるために近鉄駅周辺に出ましたが適当なレストランが見つかりません。ホテルに豪勢なディナーバイキングがあるものの一人1万円近く、とても元が取れるほどの食欲もなく、結局数少ない選択肢のうちファミレスCoco’sに入ることにしました。駅前の飲食店、商店は夕方6時頃ともなるとほとんど店仕舞いして、ここでの食事や土産物購入には事前調べが必須です。
橿原に宿泊先を決めたのは翌日の明日香村周遊に備えるためで、周遊バスが駅前始発であること、近鉄奈良・橿原神宮前間所要70分を省略するためでした。橿原のホテルはメルキュールとカンデオの二つだけなので宿泊客が集中し予約を早めにとることが必要です。たまたまこの日メルキュールには団体客が入っていて200室以上が満室、朝食ビュッフェは大混乱、ただご高齢カップルがほとんどだったので騒がしいことはありませんでした。
第2日 3月16日(月)明日香散策
飛鳥時代の遺跡が数多く残り有名な明日香村の周遊は長く希望していたものの今回が初めてでした。飛鳥大仏旧法興寺、蘇我馬子墳墓石舞台は複数回訪れたことがありますが、岡寺、橘寺また石の建造物群は初めてです。
明日香村周遊コミュニティかめバスは一日750円の周遊チケットで乗り下り自由、奈良交通委託の中型バスで1時間に1本周回しています。周遊チケットは近鉄駅中央改札(西口)もしくは東口にある観光協会(9時以降)で買い求めます。今回はバス経路の順に従い、
飛鳥寺→ 酒船石、亀型石造物遺跡→ 岡寺→ (昼食) → 石舞台→ 橘寺→ 亀石→ 近鉄橿原神宮前駅
のコースを辿ることにしました。コースには明日香資料館や高松塚古墳などもありますが、もっぱら三つの寺院参拝が目的でした。
飛鳥寺 正式名 創建時 法興寺 現在は鳥形山安居院 真言宗豊山派 創建596年 開基 蘇我馬子(551~626)本尊 銅造釈迦如来座象(重要文化財)
蘇我馬子は聖徳太子とともに廃仏派 物部氏と戦い、太子の後見とも影の支配者ともなった豪族で、蘇我氏々寺法興寺は日本初の本格的仏教寺院とされます。創建時は三つの金堂と舎利塔、講堂、回廊を持つ大寺院でしたが、現在は江戸期に再建された本堂だけが残ります。通称「飛鳥大仏」の釈迦如来座像は 法隆寺釈迦三尊(国宝)と同じ鞍作止利(くらつくりのとり、渡来仏師) 609年の作とされています。この寺は珍しく仏さまの撮影を許可してくれました。大仏は頭部より下は江戸時代の補綴とされますが(通説)、早稲田大学調査で大部分飛鳥時代の素材が残っているとする研究もあります。法興寺は平城京遷都にともない奈良市内に移転し現在の元興寺となり、同時にこの法興寺も廃されず残りました。境内の外側に乙巳の変(645年)で首を刎ねられた蘇我入鹿(馬子の孫)の首塚があります。
飛鳥寺山門 奥の本堂と鐘楼だけが残っています
丈六の釈迦座像 古代より安置された場所が変わらないそうです
645年乙巳の変で中大兄皇子、中臣鎌足に首を刎ねられ殺害された蘇我入鹿の首塚
蘇我蝦夷、入鹿父子は時の天皇(当時はまだ大王と呼ばれていました)を蔑ろにして権力をふるい大王勢力から排斥されたのです
大王中心政治の大化の改新がそこから始まります
飛鳥寺の次は快晴の下、徒歩で亀型石造物、酒船石を訪れました。祭祀用具と推定されているものの正確な用途は謎です。次の岡寺には周遊バスを逃して歩きましたが仁王門までの数百メートルの登り坂はきつい。仏道修行を思わせる立地でした。
亀型石造物
酒船石
岡寺 正式名 東光山真珠院龍蓋寺(りゅうがいじ) 真言宗豊山派 創建663年 開基 義淵(643~728) 本尊 如意輪観音(塑像、重要文化財)
通称名の岡寺は「飛鳥の岡」由来といいます。この地で悪行をする龍を法相宗僧侶 義淵(ぎえん)が寺の池に沈め蓋をして封じ込め厄難を取り除いた故事から「日本最初の厄除け霊場」と伝えられます。仁王門、書院は明日香村では少ない、建造物重要文化財です。参拝する善男善女がひっきりなしでした。
岡寺本堂 塑像如意輪観音像が祀られています
厄除けのご利益祈願お守りの返納「実」がなる境内の樹
昼食は岡寺麓、「市場筋」といわれる街道を思わせる大きな道に立つ古い商屋にある『Cafe ことだま』(奈良県高市郡明日香村岡1223) に入りました。ガイドブックにも掲載される洒落た古民家カフェで、入るなり「予約のお客様ですか?」と聞かれました。実は予約で一杯、11時過ぎフリー2組目だったので辛くもランチにありつけました。「奈良に美味いものなし」という言葉がありますが、ここは例外。2種類の1600円ランチプレートだけで、売り切れ次第終了の人気店でした。昼食の後は腹ごなしのウオーキング、15分ほどで石舞台遺跡です。
岡寺麓の市場筋 江戸時代を思わせる町並み 土佐から工人、石工などが移り住んで栄えた土佐街道が近くを南北に走っていたそうです
古民家Cafe ことだま
ことだまランチプレート 地産地消だそうですが とくに舞茸天ぷらが美味しかったです
特別史跡 石舞台古墳 築造7世紀推定横穴式石室の方形墳
被葬者は蘇我馬子と推定されています。玄室7.7m長×3.5m幅×4.7m高、使用された石の総重量は2300トン。石室を覆っていた盛土が流されて露出したままで石室内部もよく観察できます。墳墓わきに複製の石棺が置かれています。周囲の豪土手には桜が植えられ満開の折にはさぞかし美しい風景だろうと想像されます。
石舞台古墳 地下石室に入ることができます 背景のピンクの樹は桜ではなく「花梅」だそうです
石舞台バス停から三駅ほど進むと明日香村役場があり近隣の民家わきにユーモラスな姿の亀石がありました。3.6m長×2.1m幅×1.8m高の花崗岩に動物の顔らしきものが彫られています。亀と確定しているわけではありませんが悠然とも鈍間とも思える表情でユーモラスで愛らしく見えます。実のところ、用途も何を表現している彫り物なのかも分からず、不気味な妖怪に見えないこともありません。本当に民家の庭先に置かれた感じで鎮座していて意表を突かれます。まこと明日香村はワンダーランドです。
亀石ちかく聖徳太子生誕の地にある橘寺を訪れました。

亀石 いつの時代なのか? 彫られたものが動物なのか? 亀なのか? 謎の彫刻です
橘寺 正式名 仏頭山上宮皇院菩提寺 天台宗 創建606年 開基 推古天皇(554~628)本尊 聖徳太子勝鬘経講讃像
この地に聖徳太子(574~622)祖父欽明天皇(509~571)別宮の「橘の宮」があり、そこで聖徳太子が生誕しました。推古天皇の命により聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)のご進講をしたところ、南の山に千の仏頭が出現して光り輝き太子の冠から日月星の光が輝く不思議な現象が起こり霊感を得た推古天皇が橘寺を創建したという縁起が残されています。ちなみにこの経典は在家女性信者の説話が書かれているもので女性である推古天皇を讃えるものとも、聖徳太子がもつ男女平等思想の象徴ともされているものです。寺には重要文化財指定の太子座像ほかにいくつかの仏像がありますが残念ながら拝観することはできませんでした。境内には、聖徳太子愛馬の黒駒像、人間の心に潜む善悪二面を表すその名も「二面石」が置かれていました。
聖徳太子 愛馬 黒駒号

境内にある二面石 どちらが善か悪か私には分かりません このような善悪二面内在の表現はギリシャ、ペルシャ、インドなどの神話にもみられるそうです
この日夕食は駅周辺で見つけた橿原オークホテル(橿原市久米町神宮前905-2)のレストランでした。美味しそうな洋食の看板が出ていたので試しに入りました。昔の商人宿がビジネスホテルに進化した感じというと口が悪いですが、館内の案内を見ると結婚披露宴とか小規模な宴会会場を提供しているようで丁寧な料理で正統洋食店という感じです。別のテーブルで家族連れが食事をすませて手土産にホテルのショートケーキを注文していました。地元の常連客がいるようでこの店はちゃんとした穴場なのでしょう。探せばあるもんです。
第3日3月17日(火) 奈良市内ホテルへ移動
3日目は橿原から奈良市内のホテルに移動をするのですが4日目の天気予報が曇り後雨の悪天候のため、晴天の今日京都南山城当尾の里(みなみやましろとうののさと)を巡ることにしました。近鉄橿原神宮前から近鉄奈良駅、JR奈良駅へ向かいJR駅前のダイワロイネットホテル奈良に荷物を預けます。JR奈良から大和路線に乗車、二駅の加茂駅で木津川市コミュニティバスに乗換え岩船寺に向かいます。
JR加茂駅→ コミュニティバス15分 岩船寺→ 当尾 石仏の道 (徒歩30分)→ 浄瑠璃寺→ コミュニティバスで加茂駅に戻る行程です。
国宝九体阿弥陀仏で有名な浄瑠璃寺へは、オンシーズン4月以降はJR奈良駅から直通急行バスがあり便利なのですが今月は1時間1本の加茂駅からのコミュニティバスが頼りです。かつては加茂駅から奈良交通路線バスが運行されていましたが赤字の煽りで自治体主体運行のコミュニティバスに代わりました。地元民の足とはいえ我々が乗車した奈良交通委託中型バスには市民の乗客は1人のみ、それもすぐに下りて行かれたのでこの路線は依然採算が厳しそうで参拝客のために存続を切に願わざるをえません。岩船寺は加茂駅からタクシーでも2000円程度で行けるのですがタクシーは常時待機していないのです。ともあれ、この日はJR、コミュニティバスの連絡よく滞りなく岩船寺に到着できました。
岩船寺 京都府木津川市 正式名 高雄山報恩院岩船寺 真言律宗 創建729年 開基 行基(668~749)本尊 阿弥陀如来坐像(重要文化財)
別名あじさい寺で花の寺として有名。こじんまりした境内に小柄で可憐な三重塔(重要文化財)が美しい。画像はありませんが欅一木造高さ3mの阿弥陀如来(重要文化財、946年)は堂々とした立派な作風です。1970年代学生時代に訪れたものの記憶が全くありませんとご内儀に謝罪したら、本堂は1988年に再建されたので当時は整備されていなかったでしょうと笑って返されました。あじさいだけでなく紅葉の頃は阿字池に映える三重塔がさぞかし参拝客の目を楽しませてくれると想像できます。それにしても人里離れた山中の寺院で、その昔この一帯は浄瑠璃寺とならぶ奈良僧侶の修行の場となっていました。弘法大師(774~835)とその甥 智泉(789~825)が再興させた歴史もあります。
岩船寺 三重塔 紅葉の時期 風景は一変します
本堂 阿弥陀如来坐像は超然としておられました
浄瑠璃寺 京都府木津川市 正式名 小田原山法雲院浄瑠璃寺 真言律宗 創建1047年 開基 義明(~?)本尊 九体阿弥陀如来座像(国宝) 薬師如来座像(重要文化財)
古くはこの地一帯を小田原といったそうです。創建時の本尊は薬師如来で東方浄瑠璃浄土の主とされ寺の名前の由来となっています。九体の阿弥陀如来は平安末法思想のさなか、阿弥陀さまに来迎されて浄土に招かれることが貴族諸公の悲願でした。時の最高実権者 藤原道長(966~1028)が死の床にあって九体の阿弥陀如来と五色の糸で指を結び極楽浄土に旅立つことを願ったのは有名な逸話です。道長は法成寺を建立し九体阿弥陀堂を建設し当時の貴族も続きましたが現在は浄瑠璃寺阿弥陀堂が唯一残されました。もとは興福寺末寺で法相宗僧侶の修行の場とされ明治以降に真言律宗に転じています。
有名な九体阿弥陀堂
浄瑠璃寺三重塔 薬師如来坐像がご本尊 2023年東京国立博物館特別展「南山城の仏像」にお出ましでした
風雨にさらされ朧気に残った不動明王 一願不動
一番人気のわらい仏 阿弥陀三尊磨崖像
阿弥陀地蔵磨崖仏(からすの壺)
藪の中三仏磨崖像
岩船寺と浄瑠璃寺の間は当尾(とうの)と呼ばれ至る所に石掘の仏像群が残される石仏の道として有名です。じっくり見ていけば1時間、2時間はかかると思いますが、足下の悪い崖を歩くこともありそのうちの数体だけを拝観することにしました。所要は約30分、明るい日差しの中、里山を歩くのはちょっとしたハイキング気分。母娘親子で仲良く歩く人、ワンダーフォーゲル装備で歩くグループを見かけました。なお岩船寺からは下り坂で浄瑠璃寺に向かうとウオーキングが楽になります。浄瑠璃寺からJR加茂駅までコミュニティバスで20分で戻れます。
昼食は浄瑠璃寺山門前にあるそば・うどん「あ志び乃店」で山菜天ぷらそば定食をとりました。寺の近くにあるのはこの店ともう一店の和食屋(この日は休業)、Cafe(この日休業)があるだけで、味も値段もどうかな?と思いながら席につきましたが、注文したそばは大当たり「奈良に美味い店」がありました(いやいや、ここは山城、京の山中でした)。おまけに、窓の外、中庭の大寒桜が満開、メジロ十羽ほどが花をついばんでいました。思わぬ花見ができて夫婦二人で大喜びでした。浄瑠璃寺境内はあせび(あしび)がそこここで花盛りです。
昼食の天ぷらそば 確かお値段1300円で良心的でした

窓には大寒桜が満開
第4日3月18日(水) 斑鳩 法隆寺・中宮寺
朝から雲行きの怪しいこの日はひさしぶりに 斑鳩 法隆寺と中宮寺を訪ねることにしました。もう何度目かわかりませんが来るたびに法隆寺の広大さ、厳粛で清められた境内にひそかな感動を覚えます。西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍入場の通し券が値上がりしているのが残念ですが文化財の宝庫といえる法隆寺だけに十分それだけの価値があるといえます。かみさんがファンの中宮寺 如意輪観世音菩薩(国宝)にもお会いできて斑鳩探訪を終えました。
法隆寺 西院伽藍
法隆寺東院伽藍そばにある中宮寺本堂
奈良公園にもどり昼食は一度入ってみたかった奈良県庁食堂でのランチです。県庁6階の食堂は県庁職員のみならず部外者の一般市民、観光客ですら利用を断られません。我々夫婦が食べている間にも、白人の観光客十名ほどが団体で押しかけてきて日本語表示だけの自動券売機の前で右往左往、それを見かねた厨房の若い女性スタッフが慣れた仕草でにこにこしながら案内していました。観光ニッポンのお役所食堂ランチが口コミで人気があるとは驚きです。リーズナブルのお値段で悪くない質と量、おまけに行列ができるほどは混みはしないのだから、お得といえばお得です。
県庁食堂お試しの後は雨が降り出したあいにくの空模様で、天極堂本店で葛餅デザート、興福寺国宝館で阿修羅像に再会して一日を終えました。そろそろ旅の疲れが出てきて早い時間にベッド入りをすることにしました。橿原、奈良市内の宿泊はどちらのホテルももはや老夫婦へのサービスなのか、部屋をアップグレードしてくれてとくにダイワロイネット奈良では角部屋、二面大きな窓のコーナーツインの快適な部屋を提供してくれました。ラッキーです。
第5日3月19日(木) 最終日 京都へ立ち寄り帰路
最終日。早めにチェックアウトをして荷物を宅急便で送り返す手配をすませ身軽になりました。ホテルの向かいの農協直売店をのぞいているうち、美味しそうな地元の苺を買ってみることにしました。新幹線車内でおやつにでもするかと思いつきでしたが、結局帰宅してから食べたところ、あまりの甘さと香りの良さに感激。熱海の駅ビルの農協即売の苺と同クラスのできの良さです。おまけに安い。毎日利用するスーパーのおよそ7掛けほど。これからは奈良でのデザートの果物はこの直売場で買うことにしましょう。さて午後の新幹線乗車まで京都太秦広隆寺を久方ぶりに訪ねることにしました。JR奈良線で京都駅、市営地下鉄四条、阪急大宮、嵐山電鉄太秦広隆寺とこれもちょっとした長旅です。
JR奈良駅ダイワロイネット前にある農協直売所 まほろばキッチン の苺 大変甘かったです
京都市内で最も古い寺院 蜂岡山広隆寺 創建603年聖徳太子ゆかりの寺院で東寺と並ぶ国宝仏像の宝庫です
四条河原町へ踵を返し、昼食は四条大橋たもと南座前のにしん蕎麦『松葉』でした。あまりに有名な店ですが1時過ぎで満席、20分待って鰊蕎麦と湯葉豆腐そばを注文しました。次回は隣席の若者が食べていた美味そうな蕎麦つき定食のメニューを選ぶことにしたいと思いました。栗蒸しようかんの名店 祇園甘泉堂は臨時休業で肩すかし、かみさんご愛好の京都四条 香鳥屋で記念のプチ・リュックをプレゼントし、さらに京都駅で土産物を探し求めて、盛りだくさんだった楽しい奈良旅行を終えました。