2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

がん治療

2025年6月 7日 (土)

元幕内力士 藤ノ川さん転移性肝がんで死去

大相撲元幕内力士 藤ノ川(本名 服部祐兒さん)が転移性肝がんで死去したと報じられています。

同志社大で学生横綱、アマチュア横綱タイトル獲得のうえ1983年角界入り、1987年引退の後は大学教授、日本学生相撲連盟評議員などアマチュア相撲の指導にあたっておられたようです。享年64歳。

肝臓は血流、リンパに載ってがん細胞が行きつき転移巣ができやすく原発性肝がんよりも多く見られます。肝臓に転移しやすいがんに圧倒的に大腸がん、胃がんがあり、すい臓、胆道、肺、乳がん、卵巣、子宮など多くのがんが続きます。大腸がんなどで見られますが転移巣が肝臓内に散らばらず、数が数個にとどまっていると部分切除などで治療に希望を持てることが多いようです。胃がんでは微小のがんの塊が散らばるケースが多く切除が難しくなってしまいます。また肝臓は血のかたまりそのもので臓器内を無数の血管が巡っているので出血を防止し安全に手術するには高度な手技が必要だとされています。できれば肝転移するまでの段階で原発がんの治療を開始したいものです。

元藤ノ川関のご冥福をお祈りします。合掌。

2025年5月 1日 (木)

会社同期生の逝去

東京日本橋たもと、いつものレストランTOYOで友人とまったりとした昼食。

最近肝臓に出来たがんの切除手術後、急逝した同期生の話題になりました。友人とはごく親しく近況のやりとりがあったといいます。
私が知っているのは10数年前現役時代に、彼が難治の肺がんを克服した元気いっぱいの姿でした。


   引退後は食道がんを内視鏡切除で治療し克服したのでしたが、数か月前に血尿が出て泌尿器の検査を受けていました。血尿の原因が知らされないままその後の連絡を受けたのが2か月前。入院、肝臓の一部切除の大手術で、退院後に快気祝をしようと言い合っていたところ、ご家族から突然ご逝去の知らせがあったとのこと。友人はショックを受け信じられなかったと言います。  亡くなった同期生はタフな精神力を持つ仕事熱心な切れ者だっただけに、ご本人は開腹、肝臓手術でも、がんに負けるなど思いもしなかったのでは、と彼の心情を想像したといいます。

3つの多重がん罹患の人が身近にいることは珍しいとはいえ、加齢による免疫力の衰えは誰にも訪れるし、不幸にしてがんが我が身に忍び寄ることを避けるのは難しいことであります。日頃から少しばかり生活習慣に気を配り検診を欠かさず受けて早めに治療をしてもらえるようにするしかないね、という結論に達し友人と別れました。

2025年4月17日 (木)

秋野暢子さんの食道がん再発

秋野暢子さん(68)が、食道がんが再発し近く内視鏡切除を受けると公表しました。これで5回目とのことでご本人は至って元気で精神的にタフな状態を失くしておられないようです。時間を置いて新しい腫瘍ができる「異時再発」ということらしく食道がんにありがちな症状だとのこと。かつての職場の先輩から同じようなケースを聞いたことがありその方も内視鏡で複数回切除手術を受けて都度元気に日常生活に復帰していました。内視鏡の日本メーカーの世界シェアは圧倒的だと聞いたことがありますが、その恩恵は計り知れないものです。

2025年4月 4日 (金)

石橋貴明さん(63)の食道がん

とんねるず 石橋貴明さん(63)が早期の食道がんを発症し入院、手術の上しばらく治療に専念するため休養すると公表しました。

昨年秋から体調不良を自覚し検査を受けて診断されたとのことです。食道がんの発症原因は主に喫煙、飲酒、激辛や熱い飲食物など強い刺激で、食道粘膜が損傷することです。自覚症状は胸の違和感、喉につかえる感覚、嗄声、咳など。早期であれば内視鏡で切除して経過を見ることが主で追加で化学治療、放射線照射をすることが多いといいます。しばらくは食事の制限や、摂取の時の苦労があるのでつらいでしょうし、飲み友達との会食も控えて療養に専念されるよう祈ります。

 

午後、かみさんと連れ立ちのんびり散歩することにしました。19年前の今日、前日大学病院に入院し胃全摘手術を受けました。午前8時過ぎストレッチャーに載せられ、かみさんから Have a Nice Operation! の言葉で送られました。そして病室に戻れたのは午後4時でした。手術の前も後も、生きることに闘志を燃やしたことはとんとありませんが、入院生活を思い返しあれから無事生きてこれたことを再認識します。(そう思い返すと)道端の春の花々は逞しくかつ美しい。私よりもかみさんの言葉です。かみさんは、道すがら、好きなフリージャの花束を買い求めてご機嫌でした。

250404144059176

散り始めた桜の老木

 

1743752240397

胴吹き桜  これがある樹はまだまだ元気

 

 

1743752240476

芝桜

 

1743752240558

なんの飾り気もないけれど目を惹く道端のたんぽぽ

 

1743752240708

「ハナノナ」アプリによれば   マーガレット

 

1743752240633

これもアプリによれば  ムスカリだそうです

 

2025年3月21日 (金)

佐藤B作さんの多重がん

ネットの医療記事を読んでいたら、俳優 佐藤B作さん(76)の食道がんの闘病談話があり、多重がんを克服しておられたと知って驚きました。

佐藤B作さんは2008年59歳の時に胃がんの手術で胃を2/3切除されて根治されています。胃がんは「ステージ1か2」(本人談)で術後1年の検診で食道にがんが見つかり、放射線照射を30回と抗がん剤治療を受けたそうです。抗がん剤は苦しく自らの意思で1回で止めたそうですが、放射線照射の甲斐があってほどなく寛解しその後は半年に1回の検診を欠かさず。胃がん、食道がんの再発なく過ごされています。佐藤さんの食道がん闘病は初めて知りました。

 

食道がんは、放射線・抗がん剤の並行治療を受けておられるので、おそらく早期でなく進行したものだったと思われますが、この二つのがんの危険因子に喫煙、アルコール多飲が共通してあり、この多重がんを発症する可能性はかなり高いのです。もっと言うと、口腔、咽頭、食道、胃、小腸、大腸は人体の中でその内壁が外界に接している一本の臓器(消化管)です。ニコチン、タール、アルコールなどがん誘発の化学物質の暴露を浴びていて、重複してがんを発症する可能性が高いと言います。罹患率が高いと言ってもせいぜい1桁の%かもしれませんが、その消化管のどこかにがんを発症した方は、常に他の部位にも注意を払って1年か2年に一度でも定期検診を受けることが薦められます。

喫煙率は目立って減少したとはいえ、まだまだ過食多飲は日常的にあり勝ちです。40歳、50歳で体調に心配があれば検診を受けて早期発見、早期治療を心がければ不安に駆られることもありませんし、それこそががん治療の唯一の要諦です。

2025年2月28日 (金)

プロレスラー西村修さんの食道がん

新日本プロレスラーで東京都文京区区議会議員(2011年~4選)の西村修さん(53)が食道がんで亡くなったと報じられています。

プロレスはテレビでも見なくなって久しくなり、私も西村さんを存じ上げていませんでしたが、2010年参議院選挙で国民新党比例区候補として立候補し東京新橋駅前で街頭演説をしていた光景に覚えがあります(落選)。西村さんは頑健、気丈なプロレスラーで、1998年後腹膜腫瘍を発症して克服したがんサバイバーだったのです。今度は2024年4月に食道がんステージ4と診断され治療を開始したもののがんはすでに左半身全体に転移していて10月には脳転移巣切除の外科手術を受けています。12月にリングに復帰するもその後の活躍かなわず永眠されました。

プロアスリートで頑健を誇った肉体にも無情にもがんは襲いかかります。西村さんが闘志あふれるまま短い充実した人生を送られたことは間違いないと思いますが53歳での終焉は無念だったでしょう。ただただ哀悼の意を捧げたいと思います。

2025年2月25日 (火)

2025年胃カメラ(食道検査)、胸腹部CT検査結果

先日検査を受けた上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)、胸腹部CT検査の結果を聞きに地元の総合病院に行きました。午前9時30分の予約で受診開始が10時05分、三連休明けの待合室は内科、外科ともに一杯でした。

受付板掲示で呼び出され検査結果を教えてもらって15分ほどで診察は終了。検査結果ーーー

(1)食道は空腸との吻合部に異常はない。(私の予想に反して)炎症も表面に見られず特段の問題はない
(2)CT画像診断で特段指摘はなし。肺気腫があるが腫瘍はみられない。すい臓も問題なし
(3)検査前に採血した血液検査ではごく軽度の貧血症状(ヘモグロビン 13.1g/dl<基準値下限13.7)、
    アミラーゼ高値(156 IU/L、基準値140未満)があるが問題にせず

でした。画像を見せてもらいながらの質疑ーーー

①胃全摘後遺症のビタミンB12、葉酸欠乏による悪性貧血が知られているが、ビタミンE欠乏による末梢神経障害(下肢など)の医学記事(横浜市大医学部論文など)を見た。脊柱管狭窄症で足底の異常感覚が残って困るが、全摘後遺症のビタミンE欠乏による発症の可能性があるか?
――――「末梢神経障害はビタミンB6不足で起こる。ビタミンEは血流促進に関係するが、B6では?」
(否定的、試しにビタミンEのサプリでも買いますか? 手頃な価格で売っていますから)

②腸液逆流がしばしば夜中に起こるが炎症はないのか?  (画像を再度確認してもらいました)「見られない。きれいです」

③腹部大動脈石灰化がみられるが「加齢による現象で年齢相応」

と回答をもらい今年の検査を指摘なく終えることができました・・・特段問題ないよといわれほっとしてしまい、胆石、腎臓石灰化の質問を忘れてしまいました。アホか?

 

最後に医師から「来年はどうしますか?」と質問されたので、年1回の検査をぜひお願いしたい、また便潜血検査で異常があれば大腸検査をこの病院で大腸洗浄の液状下剤が苦手でビジクリア錠剤を希望するのでぜひお願いしたい、と申し上げて診察を終えました。これを聞いた先生は電子カルテに『年1回フォロー』と書込んでいました。

血液検査結果と、胸腹部CT・胃カメラによる食道検査画像のCD、DVD(2枚4400円)をもらい帰宅。ひとまず安心しました。

2025年2月20日 (木)

長崎大病院の医療事故

新聞全国紙で2月19日長崎大病院の医療事故会見が報じられています。

2021年4月下咽頭がんで治療を開始した70歳代男性患者が耳鼻咽喉科の精検で早期食道がんを見つけられましたが、主治医が消化器内科への連絡も失念し放置されたまま患者にも知らせなかったというもの。下咽頭がん治療を2024年10月に終え新しく担当した医師が記録を見返してその事態を発見し患者に謝罪し食道がんの治療を開始することになったといいます。耳鼻咽喉科内では食道がんを発症していることを認識されていたものの主治医任せのまま消化器内科との連携も患者への告知も関係者相互の確認に至らず患者治療行程の管理体制に不備があるのが原因のようです。

報道記事で不可解なのが病院説明の  『病変拡大があるが進行度が変わらない(まま)』だということです。3年半もの間進行していなかったというのは不幸中の幸いと安心しますが、ステージ1の食道がんが3年半もの間そのまま、というのは俄かに信じがたく、本当はステージ2とか3ではないのか、という疑問が湧きます。

  ちよっとした外傷や臓器機能低下の病気ではなく、間違いなく生命にかかわるがん患者なのです。そうであれば記者会見の「早期食道がん」という言葉で終わらせず、なぜもっと納得できる理に適った詳しい説明ができないのか?  メディアが読者に納得させる質問をして病院に説明を促せないのか? モヤモヤした疑問だけが残りました。大学病院が責任逃れをするため曖昧に誤魔化しているとは思いませんが、医療素人の外野から的はずれな糾弾をされてかなわん、簡略明瞭な言葉だけで良い、と居直っているような不信感が湧いてきます。生煮えの上っ面な記事しか書けないメディアにも責任はありそうです。


2025年2月12日 (水)

上部消化管内視鏡検査

地元総合病院で予約した上部消化管内視鏡検査(胃のない患者のための胃カメラです)を受けました。

    下準備の胃液抑制の内服液と口腔麻酔をされたうえで内視鏡を口から飲込みます。今回も鎮静剤なしなので医師と看護師の会話が耳に入ります。外科部長立ち合いで若い医師が内視鏡を操作してくれたようですが、丁寧なのか経験が浅いためで手間取ったのか分かりませんが、いつもより長く15分ほどかかりました。奥深くまで内視鏡を入れたせいで盛大にゲーゲーする破目になりました。検査中看護師が医師に「胸焼けがあるそうです」と伝えていたり検査終了後その看護師から「今欲しい薬がありますか?」と聞かれたぐらいなので、最近就寝中に発症する腸液逆流による食道の炎症が見つかったのでしょう。

    よく解釈すると長い検査時間は荒れた食道をじっくり見てもらったおかげかも知れません。結果は再来週の外来受診で聞くことになります。何を告知されるか気がかりではありますが細胞採取もなく緊急の説明もされなかったので、ここで心配するのは止めて外来でCT結果と一緒に説明を受けることにします。

さて明日は脊椎専門病院(処方箋)、金曜はかかりつけ内科を受診する予定(血液検査結果)、病院通い集中週間です。

2024年12月10日 (火)

小倉智昭さん死去報

フリーアナウンサーの小倉智昭さん(77)が闘病中だった膀胱がんで亡くなりました。8年前に早期の膀胱がんを発症し最後は膀胱全摘、腎臓の片方を摘出しながらもTVで元気な姿を見せておられたのでその不死身の頑張りに驚嘆していました。いまマスコミ各方面多くの方々からその死を惜しむ声が寄せられています。

 


2016年5月69歳 血尿が出て筋層浸潤性尿路上皮の膀胱がんを発症したことが判明。早期でしたが進行しやすく転移を心配する医師から膀胱全摘をすすめられます。男性機能の低下やストーマ装着を嫌い温存したままの治療を選択し仕事を継続。

2018年11月激しい血尿で再発が分かり膀胱を摘出。すぐに現場復帰をします。

2021年7月肺転移、がんはステージ4と診断されます。抗がん剤治療。

2023年9月大量の出血があり腎盂にがんが転移。片方の腎臓を全摘出。

2024年12月初めに医師からはもう治療方法がないと伝えられご自宅に戻って最後の時間を家族と静かに過ごされていたようです。

 


TV番組で何度か本人が説明していましたがこうして振り返るとまことに壮絶な闘病経過をたどっています。
ご本人も早期で膀胱がんの発症を見つけたとき膀胱全摘を決断していたら、と悔む様子も報じられていました。
だが最後まで悲嘆にくれず、ご自分の意志で進む道を選び仕事に励んで闘病する姿に私は感服するばかりでしたが
いまとなって、がん治療中の多くの方々に闘志を与えてくれたと信じます。
      心より哀悼の意を表したいと思います。合掌。

 

 

より以前の記事一覧