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寺社仏閣巡り

2023年6月17日 (土)

弘法大師 生誕1250年

かみさんと連れ立ち義母墓参の後、菩提寺近隣の川崎大師を参拝しました。今年初めての真夏日、最高気温31℃までになりましたが幸い風があり湿気がなくむしろ爽やかな天候でした。


     昼過ぎに川崎大師平間寺に入ると大きな塔婆が建っていて弘法大師生誕1250年大祭の文字があります。弘法大師生誕は西暦774年と言われ数え年で今年1250年、川崎大師では5月はいくつかの行事が執り行われたそうです。塔婆は供養塔として建てられ5月中は金堂大師像右手と結んだ「お手綱」が張られていたものの、私は右掌を供養塔に触れましたが、すでに「お手綱」はなく弘法大師と結縁はなりませんでした。いつものように境内 聖徳太子堂、大師行脚像、奪衣婆像を巡って参拝を終えました。土産に買い求めた山門前住吉の久寿餅の包装紙にも奉修シールが貼り付けられていました。この大祭をまったく知りませんでしたが、NHKニュースで先日 高野山金剛峯寺の生誕法要(774年6月15日が真言宗の公式誕生日)を報じていたことを思い出しました。今日は御朱印帳を持ち合わせなかったですが、持って来りゃ良かった!
    さすがに日中作業は暑く帰路JR川崎駅ラゾーナでソフトクリームを食べてしまいました。

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真夏の川崎大師境内。本堂前に供養塔が建立されています。



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金堂から見た供養塔。建立されている間はお手綱を残していればありがたいのに、と思います。


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川崎大師名物 久寿餅。奈良、京都の葛餅は葛粉ですが、関東は小麦粉から作られています。


2019年12月31日 (火)

大晦日恒例のお大師さん参り

気温18度前後、快晴の大晦日、わがや恒例の川崎大師平間寺へ1年平穏無事お礼の参拝です。

晦日と思えないぽかぽか日和、最近ではしばしば年末のお礼参りも非礼ではないとテレビなどで言われるためか、今年は驚くほど多い人出で去年の大晦日の3~4倍ぐらいの混雑ぶり。川崎大師近くの名物そばや(三昧庵みしまや)で好物のとじそばを食べて、かみさんの実家の墓参り。
その後は平間寺境内をお参りしました。もうここ20数年来の恒例行事です。

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                                           川崎大師参道の隠れた地元のちいさな名店 みしまや
                                           行列に並んで着席、注文をして食べ終わるまで約1時間かかりました
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そばつゆの辛さが目立つ店ですが、玉子とじそばは絶品で我が夫婦定番メニュー

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山門周辺

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境内の屋台準備も出足が早く、人出を当て込んで商売っ気満々の様子でした

2016年1月27日 (水)

川崎大師お護摩祈祷

松の内もとうに過ぎて、立春前に来年の丙申年(旧暦では立春、2016年は2月4日、が元旦です)の家内安全、身上安全の祈願に、川崎大師のお護摩祈祷をお願いすることにしました。先週までの寒空が過ぎて、すっかり春の天気、大安の日で、川崎大師は予想以上の人出でした。Img_0301
午後一番の1時開始を申し込んで、かみさんと二人分ご祈祷料1万円をお納めして、昼食をとりに参道にある日本そば「三昧庵 みしまや」(川崎市川崎区東門前1-11-16)へ立ち寄りました。参拝客で繁盛しているお店で、大変人気があります。山盛りの鳥唐揚つきのせいろそばは、ボリュームがあり看板メニューの一つですが、いかんせん、そばつゆの辛いこと、辛いこと。塩分が強くて、冷たい蕎麦は敬遠して、私は、もっぱら卵とじの温かい汁そばを注文します。関西人には、汁が濃くて醤油そのものの苦手なものでしょうが、不思議とこの卵とじそばは、くどさがなく、まろやかな風味になっていて、気に入っています。

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さて、午後一番のお護摩祈祷は大変でした。本堂の入り口前には入場待ちの長蛇の行列。案内されて内陣前の床にどんどんご祈願の参拝客が詰め込まれて、ざっと500人ぐらいがぎゅうぎゅう詰め。お護摩祈祷は2度ほど、お願いしたことがありますが、いずれも正月ではない時期だったので、その時はせいぜい40名程度。正月、立春前の快晴の陽気で信心深い善男善女がどっと集ってきたようで、さすがにびっくりしました。普段は、祈願者の名前が全員読まれますが、今日は読み上げはなく、読経のなか、15分もすればすぐに内陣ご本尊参拝に導かれてほどなく終了しました。500人もいれば、仕方がないでしょう、正座でなく胡坐をかいてすわっていても、押し合いへし合いの狭い場所で30分、40分も我慢していると具合が悪くなったり、立ちあがれなくなる人が続出するはずです。

お護摩木札は本堂裏手の引渡所で、あかさたな、の行別に並んで頂戴することになりした。かなりの混雑ぶりでしたが、さすがにご祈願に来られた方々です。整列、静粛に待っておられました。Img_0313

これで私にとって、歳運併臨の丙申年の安全祈願をお願いすることができました。これまで毎年ご祈願をお願いしているわけではありませんので、大混雑するご祈願風景を見たことがありませんでした。さすがに俄か信心で戸惑うこと多し。

 最後は、ご高齢のカップルが大半の参道で、名物のだるませんべいやだるまクッキーを土産に買い求めて、川崎大師三昧を終えることになりました。

2014年8月 6日 (水)

秩父三十四観音巡礼を終えました

秩父巡礼第5回(最終)に参加しました。第31番から34番結願寺までです。

7時30分にいつものように横浜駅西口天理ビル前から出発しました。今回は大型バス1台40名。首都高速に乗った途端、夏休みの交通渋滞で平日にもかかわらず秩父到着が1時間半遅れ、巡回中も結構遅れて結局出発地に戻ったのが午後8時30分でした。今日は晴天、気温は37,8度まで上昇していて秩父名物の暑さ三昧。結願時の日沢山水潜寺では、業者の記念撮影屋があたかも当然のように集合写真に誘導していて、観音巡礼でセコイ商売をしている業者、それを許しているこの寺はあきれました。12年に一度の午年総開帳をお布施集めのネタにしか考えられない秩父巡礼はやや興ざめです。

第31番鷲窟山 観音院(曹洞宗)

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第32番 般若山 法性寺 (曹洞宗)

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第33番 延命山 菊水寺(曹洞宗)

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第34番 日沢山 水潜寺 (曹洞宗) 結願寺

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2014年7月15日 (火)

秩父観音巡礼第4回

秩父三十四観音巡礼第4回(阪急交通社)に参加しました。横浜駅からの出発で6ケ寺をめぐります。本日の秩父地方は炎天下30℃を超える暑さでしたが、時折強い風が吹き、湿気はさほどでなくしのげました。参加者24名、中型のバスが満杯状態です。

本日の6ケ寺については、ガイドブック様のものを読んでも、寺縁起の定かでないものも多く、特筆すべきものはありませんが、第30番 瑞竜山 法雲寺には禅寺らしく、浄土を模した小さな庭園があったことが目を引きました。本尊如意輪観音坐像の由来を聞くと(真偽不明として)14世紀に唐から禅僧が持ち帰ったもので、元々唐皇帝 玄宗が楊貴妃の菩提を弔うために玄宗自身が、彫刻したものと伝承されているのだそうです。 如意輪観音は百観音のなかでも珍しいものです。寺伝来物には楊貴妃の鏡や、珍しいとされる中世の納札が残されていて、それなりに権勢のあった寺院であったことが伺えました。秩父巡礼は、8月に予定している31番以降の4ケ寺で結願になります。

第12番仏道山 野坂寺(臨済宗南禅寺派)→ 第26番万松山 円融寺(臨済宗建長寺派)→第27番竜河山 大淵寺(曹洞宗) → 第30番 瑞竜山 法雲寺(臨済宗建長寺派)→ 第29番笹戸山 長泉寺(曹洞宗)→ 第28番石竜山 橋立寺(曹洞宗)

   野坂寺

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円融寺

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大淵寺

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  法雲寺

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                              本尊 如意輪観音坐像

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長泉寺

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橋立寺

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2014年6月17日 (火)

秩父観音巡礼第3回

秩父三十四観音巡礼(阪急交通社)第3回に参加しました。梅雨の間の晴れ間で、猛暑で定評ある秩父市内はその通りの猛暑でした。午前7時30分横浜駅発のバスツアーですが、狭い道路事情から今回も定員29人乗り中型で、私の乗車したバスは横浜駅出発の参加者のみ24名。もう一台新横浜駅から回送されたバスと2台でのツアーでした。

今日は9ヶ寺巡礼です。

第19番 飛淵山 龍石寺(曹洞宗)→ 第20番 法王山 岩之上堂(臨済宗)→ 第21番 要光山 観音寺矢之堂(真言宗)→ 第24番 光智山 法泉寺 (臨済宗) → 第25番 岩谷山 久昌寺(曹洞宗)→ 第22番 華台山 永福寺 童子堂(真言宗)→ 第23番 松風山 音楽寺(臨済宗)→ 第14番 長岳山 今宮坊(臨済宗) → 第18番 白道山 神門寺(曹洞宗)

10時過ぎに秩父市内に到着、午前中に駆け足で5ヶ寺を参拝したので、今日は午後6時過ぎには横浜に帰還しました。この巡礼は、巡礼先達(秩父では先達の協会が存在し、いわゆる協会外の者は巡礼先導をさせない)がいうとおりに回ります。今日の先達は話術も巧み、寺の由来説明も堂にいったベテランでしたが、早く仕事を切り上げたかったのでしょう、急ぎ足で、午後3時過ぎにはさっさと帰ってしまいました。まことに人間っぽい先達さんです。こじんまりしたお寺が多く、特筆すべきお話もありませんが、今宮坊ではお寺から内陣にあげてもらい、ご開帳中の本尊 聖観音像(半跏趺坐)と、9世紀といわれる飛天像を間近に拝観させて頂けました。飛天像は秩父指定文化財にすぎませんが、9世紀の作というのが昨年判明したとのことなので重文指定ぐらいになるものかもしれません。本尊は江戸時代初期ということでした。時代は出ていませんが、近世のものにしては顔の造作も丁寧で、台座も細かく仕上げられていて立派なものです。あるいは如意輪観音のような気がしましたが、とにかく結構な仏さまでした。

龍石寺

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岩之上堂

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矢之堂

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法泉寺

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久昌寺

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童子堂

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音楽寺

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                          さすが音楽寺というだけあって境内そばの駐車場には、スピーカーから

                        クラシックが流れていました。

今宮坊

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神門寺

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2014年5月30日 (金)

秩父観音巡礼第2回

秩父三十四観音巡礼の2回目。横浜出発のツアー参加の都合がつかず、今回は東京駅出発のツアーに参観することになりました。7時30分に、JR東京駅前の新丸ビルの前に集合し、30人定員の小さなバスで出発しました。本日巡礼の8ヶ寺の周辺道路は狭く、大型は入れないため、今回のツアーは小型バスにならざるを得ないのだそうです。参加者 24名。お一人さまは男性、女性ともに2,3名という感じでした。

第2番 大棚山 真福寺 (ただし、参拝は納経所のある光明寺) →第4番 高谷山 金昌寺 → 第5番 小川山 長興寺 → 第3番 岩本山 常泉寺→ 第9番  明星山 明智寺 → 第8番 清泰山 西善寺 → 第6番 向陽山 卜雲寺 → 第7番 青苔山 法長寺

と巡ることになりました。当日の秩父地方は気温30度を越え、暑いこと暑いこと。先達さんに言わせれば秩父の夏はとりわけ厳しい暑さなのだそうで、その実感を十分にさせてもらいました。東京駅帰着は18時30分。

光明寺

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金昌寺

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長興寺

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常泉寺

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明智寺

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西善寺

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卜雲寺

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法長寺

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2014年4月22日 (火)

秩父観音巡礼第1回

今年は12年に一度の午年総開帳を行う秩父三十四観音巡礼のバスツアーに参加することにしました。秩父観音巡礼は今から780年前の文暦元年(1234年)甲午年に始まったとされ、すべての寺院でご本尊の観音像の総開帳が行われます。開創の午年にちなんだものとも、観音の眷属(けんぞく、家来という意味)の馬にちなんだ行事ともされていますが、いずれにせよ、阪急交通社やクラブツーリズムなど、このバスツアーを取り扱う旅行業者がキャンペーンをしており、結構な人気ぶりになっています。朝早く集合場所のJR横浜駅西口近くは群馬、伊豆の温泉地行バスの旅行客で大変な混雑。ややマイナーな秩父巡礼も、バス2台60名と聞いて驚きました。秩父巡礼は埼玉県秩父市、秩父郡下三町の比較的狭い地域に点在するので、日帰り全5回で行われます。

第1回の本日は、

第1番 誦経山 四萬部寺 → 第10番 万松山 大慈寺 → 第13番 旗下山 慈眼寺 →第15番 母巣山 少林寺 → 第11番 南石山 常楽寺  →第17番 実正山 定林寺 →  → 第16番 無量山 西光寺 → 秩父神社 

と参拝しました。 秩父札所は巡礼地として完成したのが室町期と新しく、三十四の寺院の大半が曹洞宗寺院で、本日も7か寺のうち5ヶ寺が曹洞宗、少林寺が臨済宗建長寺派、西光寺が真言宗豊山派です。 いずれの寺院もさして古い寺院ではなく、ご本尊の観音像も比較的新しいものばかりではあります。 すべて秩父市内に点在し、バスでなくとも徒歩でも十分可能なほど近接しています。ただ、秩父巡礼の日程は一日あたり6~7寺院をまわるので、昼食はバス車中で済ませ時間を省いても、横浜駅帰着はすでに午後8時を過ぎるほど、過密なスケジュールでした。

隣席の男性お一人さまは、すでに板東、西国を済ませ、秩父も2回目。午年の総開帳に合わせて再度秩父巡礼を思い立ったといいます。

秩父には平安時代の古くから観音信仰が根付いていたとされ、各地で観音像が祭られ、その観音を守るために寺が開創された、特異な歴史をもつとも言われています。各寺院、ご本尊について語るべきことは多くはありませんので、ここではそれぞれの寺院の写真を並べるだけにします。

四萬部寺 Img_5343

大慈寺

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慈眼寺

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少林寺

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常楽寺Img_5392

定林寺

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西光寺  Img_5412

2014年2月13日 (木)

板東三十三観音巡礼第10回(結願)

さて今日は10ヶ月前から始めた板東三十三観音巡礼の最終回。巡礼の最後の寺院を巡礼し終えることを結願(けちがん)と言います。

横浜駅前出発 7:30 → 第32番 音羽山 清水寺(千葉県いすみ市) → 第33番 補陀洛山 那古寺(千葉県館山市)

の2ヶ寺を回ります。 横浜駅から首都高速経由、東京湾アクアラインを通って対岸の房総半島木更津市へあっという間に到着、そこから50分程度で清水寺です。

第32番 音羽山 清水寺(いすみ市) 天台宗 創建(伝)9世紀 開基(伝)円仁 

京都市にある清水寺(法相宗)と山号も同じ、兵庫県 御嶽山清水寺とならぶ「日本三清水」と呼ぶそうです。寺の言い伝えは、平安期の偉人勢揃いで、伝教大師(最澄)が草庵を結んだのが始まり、後に円仁が千手観音像を安置し、坂上田村麻呂が堂宇を建立したことになっています。本尊の木造の十一面観音菩薩像は鎌倉時代とのことではあります。Img_5152

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本堂の回廊、東向は京都清水寺の舞台からの景色と似ていると伝えられているそうですが、杉木立に視界は遮られ、諸堂のある山自体、かなりこじんまりとした規模なので、清水舞台と比較するのは少々無理を感じます。麓からの急坂の参道を300メートルほど 上ったところが山門で、天台修行の地としてはさほどの厳しさを感じない地にありますが、杉木立が鬱蒼とし静謐な環境であることは確かです。納経所には、板東巡礼の書物がいくつか置かれていたのが意外で、他の寺院では見ることができない充実ぶりでした。 境内に百体観音堂があり、西国・板東・秩父札所 百観音を模した「うつし霊場」があり、その他赤穂四十七士像など、庶民信仰に答えるからくりがいくつか見られるのが関心を引きました。

第33番 補陀洛山 那古寺(館山市) 真言宗智山派 創建 (伝)8世紀 開基 (伝)行基

いよいよ結願寺の那古寺(なごじ)です。那古観音とよばれる本尊は平安期の木造 千手観音ですが、大きな厨子に安置されている本尊 脇には 銅造 千手観音像(高さ105cm、鎌倉時代)がガラスケースに安置されていて、こちらは国重要文化財に指定されています。観音堂 外陣で読経のお勤めをした後、副住職に案内されて厨子のある内陣で30分ほど説法を聞かせてもらうのですが、この説法ほとんどコントのようで全員事ある毎に爆笑、大枚2000円払うと板東巡礼結願の証が頂けるのですが、そこで氏名を呼ばれて一人ずつ授与されます(私も申し込みました)。ただ、この副住職も本尊の千手観音像(平安期)は「田舎」の作りで、美術品でなくともありがたい信仰のための仏さまですと強調し、ご本尊に対する参拝者の思いを牽制するように諭しておられました。その昔は、観音堂すぐ脇まで海岸線が広がり、文字どおり観音浄土を求めて不帰の船出をした補陀洛渡海が行われたこともあったようです。板東結願の大寺院としてそれなりに豊かで、多宝塔も残りなかなか立派な寺院でした。

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本尊の安置された観音堂。掲げられた額は「圓通閣」とあり、松平定信の揮毫とのことです。

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 今年は午歳の12年に1度の特別開帳が行われています。

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Img_20140214_0002_2 御朱印。結願印が左上に施されています。

これにて、巡礼が結願。本来ならば、長野県飯田の元善光寺、長野市 善光寺、別所温泉北向観音にお礼参りをするのが古くからの慣習だそうですが、ツアー元の阪急交通社が予定している3月の日程は、私には都合が合いません。折を見てまた別の機会にしようと考えています。 もちろん、秩父三十四観音巡礼も回りたいのですけれど。

最終回の今回は42名が参加。男性お一人さまはどうやら、同席の70歳前ぐらいの男性と私ぐらいですが、お隣の先輩は、西国、秩父も回り,板東は二回り目ということでした。鎌倉市内の観音さまを対象にした, 鎌倉三十三観音もすでに済ませたようで、話をしていると、若い頃からカメラ撮影の趣味があり、寺院でのシャッターチャンスを求めて巡礼を始めたようでした。今日はカメラは持参されていませんでした。同行した顔見知りの女性は、板東納経帳は何度も押印されて、朱や墨書で全く読むことができないほど。何がきっかけで巡礼を始めているのかはそれぞれ事情がおありなのでしょうが、私は寺社巡りや巡礼に参加することに違和感を感ずることがないようになってきました。歳なのかな。









2014年1月 9日 (木)

板東三十三観音巡礼第9回

昨年4月に開始した板東三十三観音巡礼もすでに第9回(全10回)で、残る5ヶ寺だけになりました。本日は、

 

 横浜西口出発 → 第13番 浅草寺(東京都台東区) → 第28番 龍正院(千葉県成田市) → 第27番 円福寺(千葉県銚子市) → 横浜 帰還

の3ヶ寺の巡礼になります。

第13番 金龍山 浅草寺(東京都台東区) 聖観音宗 創建 (伝)7世紀 開基 (伝)土師中知

 ご存じ、あまりにも有名な浅草の観音さまです。縁起によれば628年、地元の漁師 浜成、竹成兄弟が現在の墨田川(江戸浦)で、一体の聖観音菩薩像(約5.5cm)を拾い上げ、それを見た地元有力者 土師中知(はじのなかとも)が出家、礼拝し、寺の礎を築いたとされます。本尊の聖観音は絶対秘仏とされて公開されたことがなく観音堂厨子に納められていて、代わりに慈覚(8世紀~9世紀)が彫刻したという大柄な御前立像が立っています。この寺院は東京都内で最古の寺院とされ、徳川幕府から寺領500石を与えられ隆盛を極めました。ただし、境内の名だたる建築物は第二次世界大戦で焼失し、ほとんどすべて再建です。

本尊聖観音は川から現れたという不思議な伝承ですが、一説には、現在の埼玉県飯能市に安置されていた像が大水で流されたとする言い伝えもあるようです。信憑性ありそうですが、ただ7世紀のこの時代に山深いはずの飯能のあたりに観音信仰がすでにあったというのも信じがたい話ではありますね。

ともあれ、浅草の観音さまは、花の都の真ん中にあって隆盛を極め、毎年毎年3000万人の参詣者がある華やかな寺院となりました。344_2

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浅草寺へは横浜を早く出発したので、午前8時30分過ぎに到着、雷門でなく、二天門(境内奥の観音堂脇、浅草神社すぐそば)から参拝します。あいにくの曇り空、真冬の寒さで観光客の数もまださほどでなく、観音堂本陣まで入ることができ、お勤め(読経、礼拝)をしました。

浅草寺はもともと天台宗寺院でしたが、大戦後、単立の聖観音宗総本山となっています。二天門そばの浅草神社は別名 三社権現といい、ご本尊ゆかりの浜成、竹成兄弟、土師中知三人を神として祭った神社です。有名な浅草の三社祭りはこの神社のお祭りです。

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第28番 滑河山 龍正院 (千葉県成田市) 天台宗 創建(伝)9世紀 開基 (伝)円仁

滑河城主 小田氏が、土地の老僧が川からすくい上げた観音像(1寸2分、約4cm)に帰依し、現在の本尊胎内に納められたのが伝承されています。ご本尊十一面観音は通称滑河観音といわれます。本尊観音像は大きな厨子のなかにある4mほどの高さだそうで、この日は厨子の扉が数cm開かれていましたが、観音堂回廊からは薄暗くてなにも拝見できず。観音さまの指から垂らし出された長い綱に触れるだけでありました。

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この寺の仁王門は珍しい檜皮で、室町時代の建立、重要文化財の指定を受けています。

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龍正院の後は、潮来の富士ホテルというところで松花堂風弁当で昼食休憩でした。名産の鯉の洗いも入ったものでしたが、先達さんや添乗員が到着前にバスのなかで「乞う、ご期待!」と囃しすぎたので、実物を前にして、かえってがっかりしました。この種の弁当の常で、冷たく、自慢の鯉も美味しくなく、単なる「鯉う、期待のみ・・・・」でした。さりとて、周囲には魅力的な飲食店はまったく発見できないところでは文句も言えません。

第27番 飯沼山 円福寺(千葉県銚子市) 真言宗 創建 (伝)9世紀 開基(伝)空海

ご本尊は別名飯沼観音と称される十一面観音像で面白いことに8世紀前半漁師が海でこのお像を網で掬い上げたものだとされています。後にこの地を訪れた空海が開眼供養をし、豪族の海上氏が寄進し、寺が大きくなったとしています。江戸時代にかけて広大な寺領を奢りましたが、第二次世界大戦で本堂客殿を残し焼失、昔の面影はありません。銚子はこの寺の門前町として栄えたそうで、たしかに往時は相当の大寺院を思わせる気宇壮大な作りの再建本堂があります。しかし、本日訪れた三寺院ともに水の辺にあり、寺伝の謂われの観音さまがすべてその水の辺から掬い出された、という共通した言い伝えは興味深い話です。十一面観音の安置されたところはすべて水にゆかりのある地であり、十一面観音は水を守護する仏さまではないかと書いたのは、かの白州 正子でしたが、それを実感することになったのは予想もしなかったことでした。おそらく、浅草寺の伝承があまりにも有名であり、その伝承を模した言い伝えも各地で、作り出されたことでしょう。

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今年は午の年にあたり、馬は観音菩薩の眷属(けんぞく、家来)であったことに因み、秩父や板東の観音さまは12年に一度の総開帳が催されます。 干支の年が明けるのは、正確には節分ですが、本日の朱印帳には、記念の「午歳結縁」の印が押されていました。あな、ありがたや。