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放送大学

2015年12月15日 (火)

古代豪族論

放送大学の面接授業「日本古代の王権と豪族」の第1日に出席しました。今日は第2講まで10時から13時05分までですが、久しぶりに午前8時30分ごろの通勤電車に乗車して文京学習センターまで出かけます。9時40分ごろに教室について、びっくり。16ある机はすでに受講生で一杯、平均年齢70歳一歩手前の男性が8割ぐらいです。講師は 加藤 謙吉 成城大学および中央大学講師で、通る声で、機関銃のように早口で、休むことなくしゃべり続ける先生です。講義の内容は、古代の氏姓制度や、蘇我、物部、大伴、中臣などの豪族の起源や、古代の政治体制。我々が中高時代に学校で習った通説と異なった、新しい学説の話が大半ですが、専門的な内容で、おそらく放送大学で今までうけたどの授業よりもアカデミック。文学部史学科あたりだとしても、かなり専門的に特化した講義内容で面白いことは間違いない。 ただし、狭い講義室に40人以上鈴なり状態で、ややゲンナリ。講師の著作の参考文献「大和の豪族と渡来人」(吉川弘文館)を図書館で借り出して読んで受講に替えるつもりです(もちろん、単位は得られませんし、受講料5500円はパーです)。

放送大学の終了後、東京駅丸の内に行き、かみさんと合流。駅前の新丸ビル(丸の内1-5-1) 5階 「手打ちそば 石月」で昼食をとりました。このそば屋、若いご夫婦で切り盛りしている、小ぶりな店。そばは角がたっていない、柔らかな触感で人により好みがあろうかと思いますが、つけ蕎麦などのだし汁の風味がよく、我々は「親子つけ汁」「かぶ葱つけ汁」を食べましたが、やさしい味で絶品でした。食後は、三菱一号館美術館(丸の内2-6-2)で開催中の「プラド美術館展」(~1月31日)を鑑賞。グレコ、ルーベンス、ブリューゲル、ゴヤなど100点あまりのルネサンス期のヨーロッパの油絵が供されています。この美術館は明治文明開化期の西洋館を改装したもので、大変歴史的価値がある建築物ですが、各部屋とも小さく、階段を使用しなくては回遊できないので、お年寄りやハンディキャップの方は大変です。私はあまりこの建物は好きではありません。来日した絵画はいずれも小さめのキャンバスで、聖書の世界をテーマにしたものが多かったのですが、緻密、精緻で光の陰影が美しい優れた作品ばかりでした。西洋宗教画の趣味を持つ方には必見の展覧会でしょう。

都内の紅葉、黄葉は色づきが遅かっただけ、今頃になっても落葉せず、樹々に残ったままになっているようです。大概がスカスカな寒々しいありさまですが、丸の内界隈はいくつか、きれいな銀杏が残っていました。

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2015年12月13日 (日)

放送大学「現代中国論」最終日

面接授業「現代中国論」最終日 第7講「対外関係 日中関係」 第8講「今後の中国」でした。詳細は省略しますが、チャイナスクール 外交官出身の野本 佳夫講師ご自身の中国認識、スタンスは最後まで明瞭にはされませんでした。まあ、職業キャリアのほとんどすべてを中国との外交に捧げた経験、現地での生活や文物の豊富さに感動をお持ちのようですから、現実に中国の脅威を大学でのキャリアのネタにはしないでしょう。

ただ、今日の講義で印象に残った言葉、

  ①現在の「強い日本・強い中国」の対峙は史上初めてのこと。日本が戸惑うと同様に、自信を取り戻した中国といえども、一方で日本とどう外交をしていくべきか、戸惑っている、

  ②中国という国は相手が屈服したら最後、歯牙にかけない扱いをする。中国が手に入れたい優れた科学技術やノウハウを持ち続けることが必要、

  ③中国は、古典的パワーポリティクスの信奉者。歴史的根拠がなくとも、法的根拠がなくとも利害が我にありと考えたら、なんと批判されようと主張し続ける。辟易して反論を諦めると中国の思う壺。

局地戦にせよ、小さな日中軍事衝突ありうべし、という意見ですが、尖閣については日本が武力排除を試みないことを見透かしている。国際世論はすでに中国主張に対する認識は、日本と五分五分となっていて、ほぼ目論見どおりととらえていると。中国に舐められていて、虎視眈々と機会を待っている、ということらしい。

日本が軽んじられてきたのは、長年の外務省の弱腰外交がその原因の一つで講師がその責任の一端を担っていると思いますがね。安倍晋三は少しは軌道修正ができているが、ポスト安倍には誰も思い当たる人物はいません。中国、韓国はポスト安倍を待っているでしょう。

2015年12月 6日 (日)

放送大学面接授業

文京学習センターでの面接授業、「現代中国論」第5講、第6講を受講する日です。第5講は「社会主義中国の統治、意思決定の仕組み」、第6講は「社会主義市場経済 発展と矛盾」というテーマです。

統治構造の議論は中国共産党の中央、および地方組織と、現代の習近平の政治手法(反腐敗、情報統制・民主勢力の弾圧、毛沢東を模倣した大衆迎合政策、覇権復活の対外強硬策)についてということになります。社会主義市場経済は、中国版資本主義=弱肉強食の蓄財争奪ということで、教義的社会主義とは全く異なります。中国共産党独裁を維持するために、社会主義的な名目を掲げているだけでしょう。現代中国論とはとどのつまり、中国共産党のなかの権力闘争の歴史そのものです。GDPが日本の数分の一にとどまっていた2000年ごろまでは、国際政治の上で脅威となるには至らず、日本ものんびり構えておられたのですが、日本を凌駕し、世界第2位になった2010年ごろには、政治理念の反日、反米、13億人国民を食わせるための強引な国外への覇権誇示に世界中が翻弄されている、ということでしょう。

週央から、のどの痛みが続いていて、どうやら風邪をひいているようです。今朝は体がだるくよほど授業を欠席するか迷いましたが、この授業の講師は、おそらく来週最後の講義での試験問題を事前に発表されるので、勿体ないな、と思い直して、市販薬を服用して出席しました。風邪薬のせいか、午後の講義は、半ば夢現つ状態。

帰路、寄り道をしてカメラのキタムラで注文していたコンパクト・デジカメを受け取りに行きました。1年ほど前に発売開始された、キャノン POWERSHOT G7Xです。

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壊れてしまったPOWERSHOT G12の代替機として購入したものですが、G12の4年後の製品ですが、撮像素子数2000万、レンズはF1.8の驚異的な明るさ、連続撮影6.5枚/秒という2世代前の製品と比べてかなりの進化ぶりです。液晶画面で使える水準器(カメラが水平になる)が秀逸。ただし、ボディーは軽量化、小体のためグリップが効かず、アクセサリーの専用皮革ケースが必需になります。それでもプロ、ハイアマチュアを志向しなければ、重くて携帯に苦労する一眼レフカメラの代用として使いこなせるようです。この機種、人気があって販売開始から相当の期間が経過していますが、値落ちが遅く今回は皮革ケースともで61、000円でした。

2015年11月29日 (日)

放送大学面接授業「現代中国論」

放送大学授業「現代中国論」第3講および第4講です。第3講は「権力闘争と文化大革命」、第4講は「改革開放と天安門事件~鄧小平時代」です。1960年台前半の農工業政策の大失敗に始まる権力闘争と、1989年天安門事件による知識層弾圧までの現代史の講義です。中国共産党の国家成立後の毛沢東の晩年の失政とその後の権力の奪い合いの歴史ですが、それは有史以来の中国の歴史そのもので、権力闘争に明け暮れるばかりです。朝鮮半島にせよ、中国本土にせよ、血で塗りたくられた歴史を学んでいると、さすがにこれは「和を以て貴し」とすることをまずは念頭に置こうとした、この国の歴史とは違いすぎて、果たして中国史や朝鮮史から学ぶことがそれほどあるのか、という疑問が湧いてきました。

2015年11月22日 (日)

放送大学面接授業「現代中国論」

東京文京区放送大学文京学習センターでの「現代中国論」第1講、第2講。講師は外交官出身の野本佳夫 東京国際大学および茨城キリスト教大学 客員教授。前回の「中国の歴史」と同じ講師です。

本日は中華人民共和国成立前の状況解説から、毛沢東による「大躍進政策」失敗による大飢餓発生(2000~4000万人の死者)まで。今日のところは、国際政治での中国の動向分析までには至らず、現代史の解説です。センターのある「教育の森」公園は、やっと紅葉する樹木が表れてきました。曇り空で肌寒い一日でした。

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NHK大相撲中継で、昨日解説者にすい臓がん闘病中の九重親方が出演されていました。北の湖理事長の逝去で、対応でお忙しいのでしょうか、疲労の色が伺えましたが、やつれてもいらっしゃらず、しっかり話もされ、気丈でおられるようでした。

2015年11月 8日 (日)

放送大学「中国の歴史」最終日

東京文京学習センターでの面接授業。「中国の歴史」第7講「近代中国(2)辛亥革命、日中戦争」第8講「中華人民共和国成立」でした。私が文京学習センターで授業をとって初めてといっていいぐらい珍しい雨でした。毎回昼食休憩時間は、茗荷谷界隈を散歩して、東京教育大学キャンパス跡地の教育の森公園や、お茶の水女子大、筑波大付属高校周辺を歩くのが小さな楽しみなのですが、今日はそういうわけに行かず、学習センター内の方形状の回廊1周200メートルほどでしょうか、ぐるぐる歩いて回ろうとしましたが、2周ほど歩いたところでゼミを行っているらしい教室が2、3あって目障りになるようなので、中止。階段を、地下1階から3階まで2往復したところで、あきてきて室内散歩は止めました。

思えば胃の手術を受けた9年前、手術の翌々日から院内を歩き回れと医師から勧められ、毎日廊下(1周120~130メートルほど)を20周歩くことを日課にしていたことを思い出しました。体中に点滴やら尿管やらたくさんのチューブを付けたままで歩くのは大変でした。担当医や看護婦さんによれば、外科手術を受けて患者は皆さん、欠かさず行っているという話でしたが、実際には、私以外に運動をしている人は見たことがありませんでした。確かに、ベッドに寝たきりですと、すぐに筋力が落ちるし、内臓の癒着を起こすので、運動をしてそれらを防止することは大事だと思います。

さて今日の授業で「中国の歴史」は終了。結局、チャイナ・スクール出身の講師が、中国びいき、ベッタリの印象はありませんでした。この講師からは、22日(日)から「現代中国論」を受講する予定にしています。

2015年10月25日 (日)

放送大学面接授業「中国の歴史」

東京都文京学習センターでの大学面接授業。「中国の歴史」第3講「華夷思想と冊封体制」、第4講「帝国 秦~唐」です。

第4講は統一王朝の歴史の前半で、史実の解説です。第3講の冊封体制は日本にはない中国独特の秩序体制ですし、日本は中国の朝貢国であった認識をもつことはなかったので、日本人には大変理解しがたい。東アジア以外のアジアでも、ましてや世界規模でみて、他に例を見ないユニークな体制だと思われます。幸いにして今日の野本講師の解説で少しは理解に近づいた気はします。

「華夷思想」とは漢族が周辺諸民族に対する文化的優越意識から自らの世界を中華と命名し、周辺諸民族を未開発の野蛮な民族として区分する(蔑む)思想と説明しています。この漢族の偏狭な優越感は、中国人ですら、外国(西洋)に対する中国人の劣等感の裏返しであると評することもあります(金 文学「中国人が明かす中国人の本性」)。面白いことに、世界の中心であるという「中華思想」という用語は日本人の命名で、中国ではこの言葉を知る人はいないといいます(金 文学、同)。

そして我々日本人には難しい概念である「冊封体制」ですが、「冊」とは爵位を授ける文書(古来、木簡、竹簡を用い、それを束ねた様子から名づけられた)、「冊封」とは冊を与えて所領の土地を明らかにし統治をさせること、としています。 実際には、周辺国は皇帝に貢物を献上しその従属の意思を示すと、皇帝は貢物に倍加する物品を下賜されるため、要は朝貢の形をとった貿易システムだったと講師は説明されていました。

 中国皇帝にとってみれば従属する意思を示している間は、周辺国を武力で鎮圧し国力を費消することが避けられるでしょうし、朝貢国側から見れば、隣接地域の朝鮮半島などは中国に攻略される不安を減じ、下賜品で実利を得られるということになります。海を隔てた日本は、元寇などの場合を除き、中国からの侵略の危機をさほど感じておらず、貿易実利を優先して、平清盛の日宋貿易や、足利幕府の明との朝貢貿易を行っていたといえます。どちらも相手の中国王朝から見れば、朝貢で、日本は中国王朝の属国だったということになるようです。また、隋、唐の時代から清末期までつづいた冊封体制を破壊したのは、日清戦争に勝利をした日本だそうで、その結果、清の属国であった朝鮮を日本の保護国化、併合した時に、冊封体制は破壊され屈辱を味わされました。

「冊封体制」が実質的に貿易ネットワークだったのだという説明には意表をつかれましたが、確かに同意できる側面があるようで、それなりに説得力を感じました。

冊封体制とは、まことに緩やかな主従関係でありますが、中国の文明に対する周辺国の敬意と畏怖の念がなければ成立しえない秩序であります。畏怖はされても、敬意の対象とならない現代中国の皇帝(共産党主席)では、冊封体制の復活は望むべくないことは明らかです。 それにしても受講生の多くは高齢の方々で、大半が中国大陸への渡航経験があり、質問を聞いていると、中国に好意的なようです。

2015年10月20日 (火)

放送大学 反政府論争

インターネットで産経新聞ホームページを読んでいたら、珍しいことに放送大学の記事を見つけました。

 http://www.sankei.com/life/news/151020/lif1510200020-n1.html

7月の単位認定試験で問題文の中に安保法案にからみ政権批判を盛り込んだ出題があり、受験した学生から事務局に対し、 「思想誘導と取られかねない」として問題視したメールで抗議が入って学内で議論が起こり、不適切として問題の一部削除を決めた、とされています。

問題の教科は、専門科目「日本美術史」で、講師は放送大学客員教授 東大教授の佐藤康宏 氏です。問題の冒頭部分に「現在の政権は日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。(略)表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」と記載していたのだそうです。

放送大学は一般大学と異なり、放送法を順守する義務を負うため、「政治的に公平である必要がある。 意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならない。試験問題も放送授業と一体で、同法に照らせば該当箇所は公平さを欠いている」と放送大学側はその削除理由としています。 佐藤教授はこの措置を不満として、放送大学客員教授を辞任する意向とのことです。

佐藤教授の日本美術史は縄文、弥生時代の土器、古墳時代の壁画、埋蔵物から仏教美術、近代の絵画まで極めてレンジの広い膨大な美術の歴史を対象にし、単位取得が大学一難しい科目で有名です。放送授業の講義内容だけにとどまらず、受講生は図書館や博物館などに自ら足を運び、作品を見たうえで試験準備をするように予め命ぜられていて、学生の試験平均点は40点台で大学で最低、ざっと6割は不合格に終わる科目です。私も入学後一番最初に受講しましたが、仏教美術は興味あったものの、その他の分野にはその詰込み内容に関心が薄れ、とうとう途中で脱落してしまい不覚をとった科目でした。東大の専門課程では、美術史の中でも、たとえば『仏教美術』というふうに細かいジャンルで専門化させた講座になるでしょうから、放送大学ほどは総花的にはならないでしょうし、90分×15回の放送授業で猛烈な詰込みになるのはもとより無理な講義設定だと思います。ただ、佐藤教授は偏屈なほどにアカデミック、ご自分の政治信条にも、はた迷惑なほどに生真面目なのかも知れません。 講義内容に鑑み、突出して浮世離れしている授業、教科だとはかねがね感じていましたが、かくも教授の『政治信条の押しつけ』が起こることは想像もできませんでした。

安倍政権の安保法案には、戦争をするための体制つくりとして、佐藤教授のみならず、多数の学者、文化人、左派政治家たちが反対を掲げていますが、現実に対日のみならず、南シナ海で領土切取りに着手している中国に対して、具体的にどのような方法で牽制、対抗しようとしているのでしょうか。 安保は駐留米軍頼み、左右の教条的政治論争をコップのなかの嵐ですませられた平和な時代はすでに終わりました。

2015年10月18日 (日)

放送大学面接授業「中国の歴史」

今日は放送大学面接授業「中国の歴史」第一日の受講です。8コマの講義のうち第一日は2コマ「中国の歴史一覧」「中国文明、文化」ということになります(会場は東京都文京区学習センター)。

講師は野本 佳夫 茨城キリスト教大学客員教授・東京国際大学客員教授。外交官出身で40年の外務省勤務のうち、30年はアジア、そのうち15年が在中華圏、9年半が北京・台北勤務、最後は北京大使館公使、とスロバキア大使がその経歴だそうです。もともと外務省中国語研修組でいわゆる「チャイナ・スクール」の一員です。 チャイナ・スクールは、外務省内の日中友好推進派とみなされることが多く、往々にして中国国益代弁者として批判されています。ただ、今日の授業では、担当講師が中国擁護派なのか否かは分かりませんでした。

 放送大学といえば、一昨日第1学期の単位認定試験成績の改訂通知がありました。 朝鮮史(「北東アジアの歴史と朝鮮半島’09」)の正答の訂正があり、それに基づく成績改訂です。実は、これは私が試験の解答公表時(8月下旬)に、質問をして誤りを指摘したものが認められた結果ですが、9月初旬に大学事務局から、訂正の上、受験者に通知しなおす旨、回答されていたものです。訂正内容を説明すると長くなりますので省略しますが、朝鮮国家の起源について伝説に近いものを起源と認める設問でした。朝鮮半島の歴史については、史実と認識が相違することが多く、隣接する中国、日本の学界と韓国国内がそれぞれ学説がバラバラで、韓国国内では我田引水気味の古代歴史が主流をなしているようです。朝鮮古代国家の成立が紀元前4世紀とする最初の解答でしたが、考古学的な実証がなく日本学界の朝鮮史学説 紀元2世紀ごろとは乖離しています。いずれかを正しいと断定する設問は適切ではないと思えます。今回の問題は、主任教授(東大名誉教授の日本人学者)の認識と、韓国人の早大教授が担当した分野の設問、解答が異なっていたことに端を発していました。その早大教授が実際に設問を作成したのかどうか確認できていません。現代史の範囲での歴史認識問題とはもちろん内容は全く異なりますが、その認識相違では、類似した事態のような気がします。

 それにしても、今回の事態で呆れたのは、放送大学の事務局の処理の遅いこと。9月初旬の処理の決定、9月末の卒業認定、それも過ぎて半月もして成績通知改訂。私もその間、学部卒業をしましたが、なかには、成績改訂で単位不足が解消して、数週間遅れて卒業認定になったケースもありそうです。当該設問は、全員正答扱いで、10点点数が上がった人も多かったことでしょう。私もAからマルAの引上げの恩恵を受けました。

2015年8月19日 (水)

放送大学の成績がウェブで通知されました

  友人との昼飯で麻布十番商店街に出かける直前に、本日は放送大学第1学期の試験結果がウェブで通知されることに気がつき急いでPCを立ち上げました。先日合格だけは判明しましたが、その成績は

    「北東アジアの歴史と朝鮮半島」がA(80~89点)で、そのほか4教科「現代の生涯学習」「日本古代中世史」「市民生活と裁判」「西洋音楽史」はいずれも90点以上のマルAでした。

あれっ? くだんの日本古代中世史は12問中1問はアウト、1問(テレビ講義、印刷教材の範囲を超えている)は不正解だと思うが最終確認できず、90点未満と推測していたのですが、公表ではそうなっていませんでした。問題解答はいずれ今月中に発表になるでしょうが、それまでは、講義範囲外の設問に採点調整を施したのか、それとも予想外に正解だったのか不明のまま。

いずれにしても、これで教養学部人間と文化コースは卒業ということになります。第3学年に学士入学をして、結局通算4年(当初1年は現役勤務中で勉強に専念できず、取得単位ゼロでした)、実質3年かけて卒業したことになります。他のコースでの再入学は現時点では止めて選科履修生(好きな分野の科目だけ選択する。在籍期限1年)で受講を継続することにし、中国史、中国政治関係の科目をいくつか登録しました。                                                                                                                                                                                                                                                                                    

午後帰宅してすぐに甲子園の高校野球大会を確認したら、なんと早稲田実業も関東第一高校も準決勝敗退で、楽しみだった清宮早稲田実業、オコエ関東第一の決勝対決がなくなっていました。誠に残念です。